山谷親平のお早ようニッポン
山谷親平のお早ようニッポン | |
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ジャンル | 情報番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1973年10月1日-1985年4月5日 |
放送時間 | 放送時間を参照 |
放送局 | ニッポン放送 |
パーソナリティ | 山谷親平 |
出演 | 出演者を参照 |
山谷親平のお早ようニッポン(やまたにしんぺいのおはようニッポン)はニッポン放送のラジオ番組。
平日朝の時間帯で放送していた生ワイド番組。パーソナリティは評論家の山谷親平が務めた。放送期間は1973年10月1日から1985年4月5日の11年半。ただし、1984年11月5日以降は山谷の病気療養による休業とその後 死去したことで後述する代役陣が番組のパーソナリティを務める形で放送を継続した。
概要
[編集]パーソナリティの山谷親平がニッポン放送の平日朝に登場したのは1965年6月1日[1]。当時は『ラジオ朝刊』などの番組に出演していた。翌1966年4月からは毎週月曜日から土曜日の7時30分から、約1時間の朝のワイド番組『トゥデイ』(新聞のラジオ欄には『ツデイ』と表記)のパーソナリティを務めた。 1968年、ヘリコプターからの目視による交通情報(当時は日本道路交通情報センターの設立前で、この様な方式を取った)など各種情報を扱った『空からおはよう』(月 - 金7時30分 - 9時)を経て、土曜編成実施後の1972年4月からは月曜日 - 金曜日 7時 - 8時の1時間番組となり、『山谷親平ショウ』を開始。1973年10月からは『山谷親平のお早ようニッポン』のタイトルとなった。当初は7時から9時までの放送で、『朝はおまかせアンコーです!』がスタートした1974年9月からは7時から8時までの放送となった。
山谷の評論家らしい歯に衣着せないトークが好評を博した[2]。1984年11月2日の放送を以て、山谷は病気療養のために番組を休むことになり、その間は横堀洋一、ケント・ギルバート、野末陳平らが代打パーソナリティを務めて、山谷の復帰を待った。山谷は白血病のため、同年11月28日に死去[3]。12月3日から12月7日までの一週間は当番組で山谷の追悼特集を行った。
その後の代打パーソナリティは
- 1984年12月中:ケント・ギルバート(月 - 火)、今井久夫(評論家、水 - 金)
- 1985年1月中:今井久夫(月 - 水)、若宮清(ジャーナリスト、木 - 金)
- 1985年2月から:若宮清(月 - 水)、馬場雅夫(元テレビ朝日アナウンサー、木 - 金)の布陣で放送。1985年4月5日に終了した。
後番組は午前8時台に放送していた『高島ひでたけの今日も快調!朝8時』が放送枠拡大となり、『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』を開始した。
放送時間
[編集]期間 | 放送時間 |
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1973年10月1日 - 1974年8月30日 | 月曜日 - 金曜日 7:00 - 9:00 |
1974年9月2日 - 1985年4月5日 | 月曜日 - 金曜日 7:00 - 8:00 |
出演者
[編集]- パーソナリティ:山谷親平
- アシスタント:
- 当時のアシスタントは現在の番組の様にパーソナリティとトークを行うのではなく、現在の時刻と各コーナーの提供アナウンスメントを行っていた。これとは別にニュースデスク担当のニッポン放送アナウンサーが加わり、タイトルコールはそのアナウンサーが担当した。
内包番組
[編集]1973年10月 -
[編集]- お早うネットワーク・ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 交通ニュース・ヘリ情報
- お早ようラジオカー
- 交通ニュース・ヘリ情報
- フラッシュジャーナル
1974年4月 -
[編集]- お早ようネットワーク
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 小さな朝の詩
- フラッシュジャーナル
- モーニングダイヤル
- 話のショート・ショート
- うつみみどりの二人で話せば
- ズバリ対談「現代のぞき眼鏡」
- 交通ニュース
- 山谷親平のポップ・トーク
- 交通ニュース
1974年9月 -
[編集]- お早ようネットワーク
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 小さな朝の詩
- フラッシュジャーナル
1976年4月 -
[編集]- お早ようネットワーク
- ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 小さな朝の詩
- フラッシュジャーナル
1977年4月 -
[編集]- お早ようネットワーク
- ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 小さな朝の詩
- 交通情報
- フラッシュジャーナル
1978年4月 -
[編集]- ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 小さな朝の詩
- 交通情報
- フラッシュジャーナル
1979年4月 -
[編集]- ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 小さな朝の詩
- 交通情報・首都高速情報
- フラッシュジャーナル
1980年4月 -
[編集]- ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 山谷えり子のむすめ八目
- 交通情報・首都高速情報
- フラッシュジャーナル
1981年4月 -
[編集]- ニュース
- お出かけ情報
- けさの焦点
- 朝の発言
- 十朱幸代のいってらっしゃい
- 交通情報・首都高速情報
- 日産フラッシュジャーナル
関連書籍
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本民間放送連盟(編)「ニュース報道メディアとしてのラジオを考える 「お早ようニッポン」15年のロングランの背景 / 安部雍子」『月刊民放』第9巻第10号、日本民間放送連盟、1979年10月1日、24 - 27頁、NDLJP:3470926/13。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「"流れ"のなかのポイントづけ 聴取者の"生活ペース"をどう捉えているか / 田中輝雄」『月刊民放』第14巻第1号、日本民間放送連盟、1984年1月1日、14 - 15頁、NDLJP:3470977/8。
- ^ 山谷えり子のホームページ内「やまたにヒストリー」より
- ^ ニッポン放送番組表1975年10月 - ウェイバックマシン(2013年2月20日アーカイブ分)
- ^ JOLF_archiveの2021年10月18日のツイート- X(旧Twitter)(ニッポン放送ラジオ番組表 80 1月号)
- ^ ニッポン放送ラジオ番組表 84 4月号 - ウェイバックマシン(2013年2月20日アーカイブ分)
関連項目
[編集]- 塚越孝(当番組最後の放送日 = 1984年11月2日のニュースを担当していた。山谷の娘 山谷えり子と長い付き合いとなった。 出典[1])
- 八代英太のお早ようニッポン (当番組の土曜日版として放送していた生ワイド番組)
- SUZUKIハッピーモーニング・十朱幸代のいってらっしゃい(1981年以降の内包番組)
ニッポン放送 平日 7:00 - 8:00 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
山谷親平ショウ
(7:00 - 8:00) |
山谷親平のお早ようニッポン
(1973年10月1日 - 1985年4月5日) |
高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団
(7:00 - 9:00) |
ニッポン放送 平日 8:00 - 9:00 | ||
高山栄ショウ
(8:00 - 9:00) |
山谷親平のお早ようニッポン
(1973年10月1日 - 1974年8月30日) |
朝はおまかせアンコーです!
(8:00 - 9:00) |