山県武夫
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山県 武夫(やまがた たけお、1884年〈明治17年〉2月26日[1] - 1968年〈昭和43年〉8月7日[2])は、日本の宮内官僚。海軍軍人。
経歴
[編集]愛媛県松山市出身[1]。海軍兵学校を卒業後、日露戦争・日独戦争に従軍[1]。その後海軍大臣秘書官、イタリア大使館附駐在武官を務めた[1]。海軍中佐の時に宮内省に転じ、式部官、式部職儀式課長、同外事課長、式部次長を歴任した[3]。
1941年(昭和16年)に宮中顧問官に任命された[3]。他に日伊協会の専務理事を務めた[3]。
栄典
[編集]- 1905年(明治38年)10月4日 - 正八位[4]
- 1907年(明治40年)11月30日 - 従七位[5]
- 1909年(明治42年)12月20日 - 正七位[6]
- 1915年(大正4年)1月30日 - 従六位[7]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[8]
著書
[編集]- 『皇室と帝国海軍』学芸社、1943年8月。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。