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山田義三郎 (貴族院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田義三郎
やまだ ぎさぶろう
生年月日 1861年3月9日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国登米郡
(現・宮城県登米市
没年月日 (1924-03-21) 1924年3月21日(63歳没)
前職 商家

在任期間 1909年10月9日 - 1911年9月28日

登米町会議員

当選回数 4回
在任期間 1899年 - ?

登米郡会議員
在任期間 1894年 - ?
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山田 義三郎(やまだ ぎさぶろう、1861年3月9日(文久元年1月28日[1]) - 1924年大正13年)3月21日[2])は、明治から大正時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

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陸奥仙台藩登米郡、のちの登米町(現登米市)で[3]、商家・山田東十郎の長男として生まれる[1][4]。1893年(明治26年)11月、家督を相続した[1]1894年(明治27年)登米郡会議員に当選[2]1899年(明治32年)から宮城県会議員を4期務めた[3][4]。ほか、登米町会議員、宮城県参事会員、登米汽船、登米製糸各社長、宮城貯蓄銀行取締役、宮城県繭糸同業組合長などを歴任した[2]仙北鉄道設立の発起人にも名を連ねた[3]

1909年(明治42年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月9日[5]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第3版』や68頁。
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 218頁.
  3. ^ a b c 竹内ほか 1994, 417頁.
  4. ^ a b 『宮城県百科事典』1060頁。
  5. ^ 『官報』第7890号、明治42年10月11日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 竹内理三ほか 編纂『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。ISBN 4040020405