山田義三郎 (貴族院議員)
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山田義三郎 やまだ ぎさぶろう | |
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生年月日 | 1861年3月9日 |
出生地 |
日本 陸奥国登米郡 (現・宮城県登米市) |
没年月日 | 1924年3月21日(63歳没) |
前職 | 商家 |
在任期間 | 1909年10月9日 - 1911年9月28日 |
登米町会議員 | |
宮城県会議員 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1899年 - ? |
登米郡会議員 | |
在任期間 | 1894年 - ? |
山田 義三郎(やまだ ぎさぶろう、1861年3月9日(文久元年1月28日[1]) - 1924年(大正13年)3月21日[2])は、明治から大正時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]陸奥仙台藩領登米郡、のちの登米町(現登米市)で[3]、商家・山田東十郎の長男として生まれる[1][4]。1893年(明治26年)11月、家督を相続した[1]。1894年(明治27年)登米郡会議員に当選[2]。1899年(明治32年)から宮城県会議員を4期務めた[3][4]。ほか、登米町会議員、宮城県参事会員、登米汽船、登米製糸各社長、宮城貯蓄銀行取締役、宮城県繭糸同業組合長などを歴任した[2]。仙北鉄道設立の発起人にも名を連ねた[3]。
1909年(明治42年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月9日[5]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 竹内理三ほか 編纂『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。ISBN 4040020405。