山田紹之助
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山田 紹之助(やまだ つぐのすけ、1889年(明治22年)6月12日 - 没年不明)は、日本の実業家、工学者。北海道帝国大学教授[1]。阜新製作所社長[1]。満州炭鉱理事[1]。衆議院議員山田喜之助の長男。
人物
[編集]東京府の弁護士・山田喜之助の長男[1][2]。1909年7月、石川県金沢の第四高等学校を卒業後、9月東京帝国大学工科大学機械工学科に進学[2]。1912年7月、大学を卒業し[3]、鉄道院に奉職[2]。1913年、家督を相続した[1]。
その後、官を辞して明治鉱業に入社した[2]。欧米各国に留学した[1]。1925年8月、北海道帝国大学に開設された工学部の教授(鉱山工学教室・鉱山機械学担当)に就任した[2]。1938年3月、北海道帝国大学教授を退官して満州炭鉱株式会社の技師に転じた[2]。住所は新京市[1]。
家族・親族
[編集]- 山田家
- 祖父・八郎兵衛(大阪府人、砂糖商、住所は大阪府大阪市東区瓦町)
- 父・喜之助(1859年 - 1913年[4]、弁護士、政治家・衆議院議員)[4]
- 母・鳰(にお、1868年 - 1943年、熊本士族・岡松甕谷の二女)[1][2]
- 弟・作之助(1889年 - 1995年、弁護士、裁判官)[2]
- 妹・呈(1893年 - ?、小林俊三の妻)[1]
- 叔父・正三(1882年 - 1949年、法学者、京都帝大法学部長)[2]
- 先妻・洋(1896年 - ?、東京府士族・岡松参太郎の長女)[2][5]
- 後妻・志津(1901年 - ?、岐阜県人・水谷浅吉の長女)[1][2]
- 長男[2]
- 長女[2]
- 二女[2]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第14版 下』ヤ109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 七戸克彦「山田喜之助・正三・作之助・弘之助 : 神戸学院大学・山田作之助関係資料に寄せて」『神戸学院法学』第46巻、神戸学院大学法学会、2016年10月、87-185頁、CRID 1050282810878453888、hdl:2324/1785513、ISSN 0386-2046、NAID 120005859684。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』学士及卒業生姓名 工学士機械工学科185頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月30日閲覧。
- ^ a b 山田 喜之助とはコトバンク。2016年12月6日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第5版』を173-174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版下』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版下』人事興信所、1943年。