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山田紹之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 紹之助(やまだ つぐのすけ、1889年明治22年)6月12日 - 没年不明)は、日本実業家工学者北海道帝国大学教授[1]。阜新製作所社長[1]。満州炭鉱理事[1]。衆議院議員山田喜之助の長男。

人物

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東京府の弁護士・山田喜之助の長男[1][2]1909年7月、石川県金沢の第四高等学校を卒業後、9月東京帝国大学工科大学機械工学科に進学[2]1912年7月、大学を卒業し[3]鉄道院に奉職[2]。1913年、家督を相続した[1]

その後、官を辞して明治鉱業に入社した[2]。欧米各国に留学した[1]1925年8月、北海道帝国大学に開設された工学部の教授(鉱山工学教室・鉱山機械学担当)に就任した[2]1938年3月、北海道帝国大学教授を退官して満州炭鉱株式会社の技師に転じた[2]。住所は新京市[1]

家族・親族

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山田家
父・山田喜之助
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第14版 下』ヤ109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 七戸克彦「山田喜之助・正三・作之助・弘之助 : 神戸学院大学・山田作之助関係資料に寄せて」『神戸学院法学』第46巻、神戸学院大学法学会、2016年10月、87-185頁、CRID 1050282810878453888hdl:2324/1785513ISSN 0386-2046NAID 120005859684 
  3. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』学士及卒業生姓名 工学士機械工学科185頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月30日閲覧。
  4. ^ a b 山田 喜之助とはコトバンク。2016年12月6日閲覧。
  5. ^ a b 『人事興信録 第5版』を173-174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月12日閲覧。

参考文献

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  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版下』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版下』人事興信所、1943年。