山田有親
表示
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天文2年12月24日(1534年1月8日) |
戒名 | 孝山忠公庵主 |
官位 | 式部少輔 |
主君 | 島津実久→忠良 |
氏族 | 山田氏 |
父母 | 父:山田有俊 |
妻 | 市来家親娘 |
子 | 有徳、有守、有明 |
山田 有親(やまだ ありちか)は、戦国時代の武将。島津氏の家臣。
略歴
[編集]薩摩山田氏は元は平氏で、武蔵有国の子・有貫[1]が文治年間に薩摩国へ下向し、日置郡山田の地を領してより山田氏を名乗った。有親は有貫より数えて12代目で、天文年間の初めに薩州島津家の島津実久に与し、島津忠良・貴久父子に反目した。
天文2年(1534年)12月2日、有親は全領地を献上した上で忠良に降伏する。忠良もこれを容れ、山田のみは領有を許した。しかし重臣である鎌田政年・阿多加賀守[2]らが、有親は気骨があり本当に心服したとは思われず、二心ある者を置いていては家の為にならないと諫言したため、忠良もこれを容れて有親に切腹を命じ、有親もこの命に服した。
その後、忠良は切腹を命じたことを後悔し、有親の嫡子・有徳を召し出して山田の領地を継がせると共に、有親を多聞天として伊作多宝寺[3]の毘沙門堂に祀った。
脚注
[編集]出典
[編集]- 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)