山田城 (大和国)
表示
山田城 (奈良県) | |
---|---|
別名 | 岩掛城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 山田氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 山田氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 堀切、土塁 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度37分37.9秒 東経135度56分07.6秒 / 北緯34.627194度 東経135.935444度 |
地図 |
山田城(やまだじょう)は、奈良県天理市にあった中世の日本の城(山城)。別名岩掛城(いわがけじょう)。
概要
[編集]天理市山田町の尾根先端の要衝、標高550mに位置する。尾根先の曲輪は四角形で、西方に深い堀がある。単郭の館城から尾根続きに拡張しようとし、未完に終わった。
付近一帯を支配する在地領主・山田氏が当城に拠った。一乗院方の国民であった山田氏は15世紀後半には古市氏に属し、応仁の乱でも勢力を広げている。筒井氏勢力下の福住氏と対立しながら、城の北方に進出して所領を広げた。永禄9年(1566年)に山田氏が松永久秀勢から当城を奪還した記録が残る。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(29.奈良県)』、角川書店、1990年