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山田図南

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 図南(やまだ となん、1749年寛延2年) - 1787年3月27日天明7年2月8日))は江戸時代中期の医師 [1]、考証家[2]。名は正珍(まさたま) [1]。字は玄同[1]。通称は宗俊[1]。江戸時代中期の儒学者山田麟嶼の孫[1]

経歴・人物

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江戸に生まれる[2]儒学山本北山医学加藤筑水本草学田村藍水にまなぶ[1]後藤艮山に師事しながら『傷寒論』の復古考証的研究に精力を注ぎ、中西深斎と並び称された。著作に『傷寒考』『傷寒論集成』『傷寒検証』『天命弁』『新論』など[1][2]。生年を享保16年(1731年)とする説もある[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『山田図南』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『山田図南』 - コトバンク