山田図南
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山田 図南(やまだ となん、1749年(寛延2年) - 1787年3月27日(天明7年2月8日))は江戸時代中期の医師 [1]、考証家[2]。名は正珍(まさたま) [1]。字は玄同[1]。通称は宗俊[1]。江戸時代中期の儒学者山田麟嶼の孫[1]。
江戸に生まれる[2]。儒学を山本北山、医学を加藤筑水、本草学を田村藍水にまなぶ[1]。後藤艮山に師事しながら『傷寒論』の復古考証的研究に精力を注ぎ、中西深斎と並び称された。著作に『傷寒考』『傷寒論集成』『傷寒検証』『天命弁』『新論』など[1][2]。生年を享保16年(1731年)とする説もある[2]。