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山田喜久夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田 喜久夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県海部郡十四山村(現・弥富市
生年月日 (1971-07-17) 1971年7月17日(53歳)
身長
体重
173 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト5位
初出場 1990年7月30日
最終出場 1999年6月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山田 喜久夫(やまだ きくお、1971年7月17日 - )は、愛知県海部郡十四山村(現・弥富市)出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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名将・阪口慶三監督を慕って1987年東邦高校へ入学し、1年次の同年からエースの座に就く。2年次の1988年には春の選抜で準優勝、3年次の1989年春の選抜では、決勝戦で元木大介種田仁らを擁する上宮高校を破り優勝に導き、平成最初の優勝投手となった。春夏連覇を目指した夏の選手権は1回戦敗退したが、同年のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。

1990年から一軍で起用され、主に中継ぎとして活躍。

1993年には自己最多の46試合に登板。

1994年10.8決戦では2番手でマウンドに上がった。

1995年から1996年までは登録名をキクとした[1]

1998年オフに球団から戦力外通告

1999年広島東洋カープへ移籍。腕の位置をサイド気味にするなど試行錯誤したが、5試合の登板に終わりオフに2度目の戦力外通告を受け、同年限りで現役を引退。

引退後は横浜や古巣・中日で打撃投手を務め、現在はNPO法人を立ち上げて野球塾を開く一方、2014年3月からナゴヤドーム近くでわらび餅店「喜来もち ろまん亭」を経営している[2]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1990 中日 17 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 68 15.1 12 1 14 0 1 8 0 0 7 6 3.52 1.70
1991 32 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 129 27.0 30 2 18 2 1 17 1 0 15 12 4.00 1.78
1992 44 7 0 0 0 3 3 0 -- .500 381 91.0 75 6 43 4 3 71 6 0 29 27 2.67 1.30
1993 46 1 0 0 0 1 2 0 -- .333 217 50.2 39 4 25 1 1 36 0 0 19 19 3.38 1.26
1994 24 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 101 24.2 19 2 13 1 0 22 0 0 10 9 3.28 1.30
1995 35 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 151 33.1 35 3 22 1 0 21 0 0 28 25 6.75 1.71
1997 19 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 77 18.0 16 2 8 0 1 7 0 0 10 9 4.50 1.33
1999 広島 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 3.0 2 0 6 0 0 2 0 0 3 3 9.00 2.67
通算:8年 222 9 0 0 0 6 8 0 -- .429 1140 263.0 228 20 149 9 7 184 7 0 121 110 3.76 1.43

記録

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  • 初登板:1990年7月30日、対広島東洋カープ18回戦(ナゴヤ球場)、8回表無死に4番手として救援登板、1/3回無失点
  • 初奪三振:同上、8回表に長内孝から
  • 初先発:1992年5月5日、対広島東洋カープ4回戦(ナゴヤ球場)、3回3失点で敗戦投手
  • 初勝利・初先発勝利:1992年8月20日、対広島東洋カープ19回戦(ナゴヤ球場)、7回1/3を2失点

背番号

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  • 32 (1990年 - 1994年、1996年 -1998年)
  • 13 (1995年、1999年)
  • 94 (2000年 - 2007年)
  • 117 (2008年 - 2012年)

登録名

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  • 山田 喜久夫 (やまだ きくお、1990年 - 1994年、1997年 - 1999年)
  • キク (1995年 - 1996年)

テレビ番組

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いずれも現役引退(わらび餅店の開業)後に出演

脚注

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関連項目

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外部リンク

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