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山田博士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田 博士(山田 洋)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県大垣市
生年月日 (1973-06-17) 1973年6月17日(51歳)
身長
体重
188 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 1997年8月19日
最終出場 2004年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山田 博士(やまだ ひろし、本名:山田 洋(読み同じ)、1973年6月17日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

実兄はヤクルトスワローズなどでプレーした山田勉

来歴・人物

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大垣工業高時代は2年時からエースの座に就く。3年の夏には大会屈指の好投手として注目を集めた。初戦は完封勝利を収めたものの第二戦で市岐阜商に味方のエラーから失点して自責点0で高校野球を終えた。高校卒業後は、社会人野球日本通運名古屋に入ると都市対抗野球へチームを18年ぶりの出場に貢献[1]

1994年中日ドラゴンズ逆指名し、同年のドラフト2位で入団。1997年8月19日の対広島東洋カープ戦で初登板、同年8月22日の対阪神タイガース戦で初勝利をあげる。

1998年、巨額の脱税事件に関わっていた事が発覚し、有罪判決を受けた(詳しくはプロ野球脱税事件を参照)ため、シーズン序盤5週間の出場停止処分を受けた。7月16日の対広島戦で実兄の山田勉と同じ試合で投げ合った。またその試合の6回表には投手・勉、打者・洋という兄弟直接対決も実現した。オフには古傷の右肘を手術。1999年の開幕には間に合わず、前半はリハビリテーション生活となっていた[2]2000年は一軍登板無しに終わる。

2001年、シーズン途中に種田仁と共に波留敏夫とのトレード横浜ベイスターズに移籍。移籍後は出番が増えていた。2005年のシーズン終了を前に戦力外通告を受け、現役引退。他球団での現役続行希望も獲得球団はなかった。

2006年、古巣中日へ打撃投手として復帰。同年5月よりマネージャーに配置転換された。現在は、監督付広報を務めている。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1997 中日 10 6 1 1 0 3 2 0 -- .600 172 41.0 33 4 16 0 3 30 3 0 16 14 3.07 1.20
1998 14 6 0 0 0 2 3 0 -- .400 172 38.0 41 1 20 1 2 27 3 0 19 19 4.50 1.61
1999 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 43 9.0 11 1 5 1 2 9 2 0 7 7 7.00 1.78
2001 横浜 2 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 18 4.0 4 0 2 1 0 4 1 0 2 2 4.50 1.50
2002 7 7 0 0 0 2 4 0 -- .333 156 35.2 38 3 13 3 1 26 3 0 20 18 4.54 1.43
2003 23 2 0 0 0 1 3 0 -- .250 162 38.0 36 4 11 0 3 27 2 0 17 15 3.55 1.24
2004 30 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 162 38.0 36 5 14 0 0 41 3 0 18 13 3.08 1.32
通算:7年 89 22 1 1 0 9 16 0 -- .360 885 203.2 199 18 81 6 11 164 17 0 99 88 3.89 1.37

記録

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背番号

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  • 16 (1995年 - 2001年途中)
  • 34 (2001年途中 - 2005年)
  • 123 (2006年)

登録名

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  • 山田 洋 (1995年、1997年 - 2000年)
  • ヒロ山田 (1996年)
  • 山田 博士 (2001年 - 2005年)

脚注

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  1. ^ '95スポニチプロ野球手帳
  2. ^ 1999年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑

関連項目

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外部リンク

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