山本大貴 (内野手)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県淡路市 |
生年月日 | 1994年6月27日(30歳) |
身長 体重 |
180 cm 92 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 一塁手・外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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山本 大貴(やまもと ひろき、1994年6月27日 - )は、兵庫県淡路市出身の元社会人野球選手。
高校通算107本塁打は清宮幸太郎の高校通算111本塁打に抜かれるまで高校通算本塁打歴代最多記録を保持していた。高校通算107本塁打の記録は佐々木麟太郎、清宮に次いで3位の記録である。
経歴
[編集]兵庫県淡路市出身[1]。淡路市立学習小学校2年生のときから野球を始める[1]。当初は左投げだったが肩を故障したため、右投げに転向している[2]。淡路市立東浦中学校では軟式野球部に所属し[1]、外野手のレギュラーとして2年夏の大会では県ベスト8に入った[2]。
神港学園神港高等学校に進学し、1年生の頃は背番号12をつけながらもセンターを守り、主軸を任されていた[3]。高校2年生で2学年上の伊藤諒介が持つ高校通算94本塁打を更新し、最終的に107本塁打まで記録を伸ばし、清宮幸太郎に抜かれるまで高校通算歴代本塁打記録を保持していた。兵庫県大会5回戦では小・中学時代に同期の近本光司を擁する社高等学校と対戦し自身は3打数無安打に終わり、チームも敗れ、甲子園出場はなかった[3]。
大会終了後はドラフトの候補にも上がったがプロでは通用しないとの思いから[4]プロ志望届を提出せず、高校でのコーチ・北原直也がかつてプレーしていた社会人野球のJR西日本に所属。主に一塁手として出場したが、社会人の球に対応できず[2]、社会人通算で5,6本塁打程度と目立った活躍のないまま4年目の2016年限りで引退した[4]。2017年現在は広島県東広島市のJR西条駅に勤務している[4][5]。
エピソード
[編集]- 中学校時代に父親を亡くしている[2][4]。
- 小・中学校時代の同級生かつチームメイトに近本光司がおり、保育所時代からの幼馴染だった。中学3年生のときには近本が投手、山本が捕手でバッテリーを組んだこともある[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c “神港学園・山本が高校通算100号「甲子園で打ちたい」”. Sponichi Annex. (2012年5月15日) 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b c d “プロ志望届を出さなかった「高校通算107発男」山本大貴の選択”. 東スポWeb. (2015年12月29日) 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b 久保田龍雄 (2022年6月5日). “高橋由伸2世と呼ばれた男も 高校でHR打ちまくったけどプロ入り逃した“大砲”たち〈dot.〉”. AERA dot. (アエラドット). p. 2. 2022年8月3日閲覧。
- ^ a b c d 東尾洋樹 (2017年5月29日). “高校通算本塁打の記録保持者、山本大貴さん 清宮に更新期待「僕もうれしい」”. スポニチ Sponichi Annex 2022年8月3日閲覧。
- ^ 岡本朋祐 (2017年7月5日). ““高校通算107発男”元神港学園高・山本大貴の現在 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2022年8月11日閲覧。
- ^ “阪神ドラ1近本 幼なじみ“高校107発男”が語る秘話 少年時代から「負けず嫌い」”. Sponichi Annex. (2018年11月10日) 2022年8月17日閲覧。