山本勘右衛門
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛文2年(1662年) |
改名 | 成政 |
別名 | 源五郎、通称:勘右衛門 |
主君 | 牧野忠成→忠成 |
氏族 | 山本氏 |
父母 | 父:山本勘右衛門 |
山本 勘右衛門(やまもと かんえもん)は、江戸時代前期の武将。牧野氏の家臣。諱は成政(しげまさ)。
略歴
[編集]『三百藩家臣人名事典』では、勘右衛門の父は同名の勘右衛門であり、甲斐武田氏の足軽大将である山本勘助(菅助)の弟である山本帯刀左衛門成行の孫であるという。なお、山本勘助の弟の存在は、確実な史料からは確認されない。
父は部屋住みで早くに死去したため、祖父・成行より家督を相続した。牧野家の家老となり、家臣団の第2グループとなる勘右衛門組を創設した。平助組の稲垣則茂と協力して藩政を行ない、慶長20年(1615年)5月、大坂夏の陣での久法寺表の戦いで戦功を挙げた。牧野家が越後長岡藩に移封された後も、則茂と共に藩政を助けている。
寛文2年(1662年)、死去。以後、平助組の稲垣家と勘右衛門組の山本家は代々交代で家老を務めた。
出典
[編集]- 『三百藩家臣人名事典』 新人物往来社
- 『三百藩藩主人名事典』 新人物往来社
- 『江戸三百藩藩主総覧』 新人物往来社