山本光幸
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 文明18年(1486年)? |
死没 | 天正6年11月29日(1578年)1月6日? |
別名 | 貞久、通称:藤七郎 |
主君 | 今川氏親 |
氏族 | 山本氏 |
父母 | 父:山本貞幸、母:大橋入道娘・安 |
兄弟 |
吉野貞継、石松、女子、光幸、 鶴(桑名城内室)、勘助 養兄弟:貞重 |
子 | 勘助? |
山本 光幸(やまもと みつゆき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏の家臣。甲斐武田氏の足軽大将である山本勘助の近親とされる。
略歴
[編集]山本貞幸の三男として誕生する。勘助晴幸の兄と伝わる。今川氏親に仕え、大いに戦功があったという。一説によると山本勘助の父とされる。この説によると勘助は三男で、三河国八名郡賀茂[注釈 1]の生まれという。
大河ドラマ・『風林火山』では「山本貞久」となっており、氏親亡き後、今川家家臣で花倉城主・福島越前守と共に玄広恵探を擁立して梅岳承芳[注釈 2]擁立派に対抗したが敗北し、そこに居合わせた弟・勘助に介錯を依頼して自刃している。