コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山本健二 (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 健二
名前
カタカナ ヤマモト ケンジ
ラテン文字 YAMAMOTO Kenji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-08-28) 1965年8月28日(59歳)
出身地 山梨県
身長 161cm[1]
体重 58kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1981-1983 日本の旗 韮崎高校
1984-1987 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1992 日本の旗 古河/ジェフユナイテッド市原 53 (0)
1993 日本の旗 NTT関東 9 (0)
1994-1996 日本の旗 ジェフユナイテッド市原 29 (0)
通算 91 (0)
監督歴
日本の旗 成立学園高校
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山本 健二(やまもと けんじ、1965年8月28日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)[2]

来歴

[編集]

山梨県立韮崎高等学校では1学年上に保坂孝羽中田昌がいる[3]全国高等学校サッカー選手権大会では2年時に準優勝(第61回)、3年時にベスト4進出(第62回)に貢献[3]。両大会で優秀選手に選ばれ、日本高校選抜のヨーロッパ遠征に参加した[3]

駒澤大学を卒業後、1988年に日本サッカーリーグ古河電工に加入[4]。加入初年度の1988-89シーズンのJSL1部では第1節から出場機会をつかみ19試合に出場[4]。4シーズンの間にJSL1部通算53試合に出場した[5]

1992年、プロ化によりジェフユナイテッド市原へと移行後もチームに在籍し、同年のJリーグカップでは1試合に出場[1]したが同年限りで退団。1993年にジャパンフットボールリーグNTT関東に移籍した後、1994年に市原に復帰。同年3月12日に行われたサントリーシリーズ第1節のガンバ大阪戦でリーグ戦デビューを果たした[1][6]。Jリーグでは通算29試合に出場した[1]

引退後はOKI FC Windsサッカー日本女子代表のコーチ、成立学園高校監督[7]、成立学園の下部組織にあたる成立ゼブラのコーチを歴任[8]。2022年現在は成立学園の監督を務めている[9]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1988-89 古河 4 JSL1部 19 0 2 0
1989-90 16 0 1 0
1990-91 10 0 0 0
1991-92 8 0
1992 市原 - J - 1 0
1993 NTT関東 旧JFL 9 0 - 0 0 9 0
1994 市原 - J 9 0 0 0 0 0 9 0
1995 20 0 - 0 0 20 0
通算 日本 J 29 0 1 0
日本 旧JFL 9 0 -
日本 JSL1部 53 0
総通算 91 0

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 山本 健二”. J.League Data Site. 2020年1月27日閲覧。
  2. ^ 日本サッカーリーグ編『1991-1992 JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ、1991年、53頁。 
  3. ^ a b c 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、168-170,266-267頁。ISBN 978-4-06-220356-2 
  4. ^ a b 日本サッカーリーグ編『1989-90 JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ、1989年、94頁。 
  5. ^ 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会 編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、244頁。 
  6. ^ 公式記録 ’94Jリーグサントリーシリーズ 第1節第1日”. J.League Data Site. 2020年1月27日閲覧。
  7. ^ 成立ゼブラフットボールクラブ赤羽校”. サカイク×ケリなび. 2020年1月27日閲覧。
  8. ^ コーチ紹介”. 成立ゼブラ フットボールクラブ. 2020年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
  9. ^ 成立学園が19年ぶり選手権勝利 「感無量」と監督安堵も「ストレス溜まった」と本音”. FOOTBALL ZONE (2022年12月28日). 2022年12月28日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]