山本五郎
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やまもと ごろう 山本 五郎 | |
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山本五郎像 | |
生誕 |
1880年2月12日 日本・岐阜県 |
死没 | 1941年4月12日(61歳没) |
職業 | 実業家 |
配偶者 | 通 |
子供 | 山本悍右 |
山本 五郎(やまもと ごろう、1880年2月12日 - 1941年4月12日)は、日本の実業家。写真機械店と写真館を経営。愛友写真倶楽部代表。岐阜県揖斐郡出身。
概要・略年譜
[編集]岐阜県揖斐郡長瀬村岐礼(現在は揖斐川町にある)出身。長男は写真家の山本悍右である。
- 1905年3月、名古屋広小路に写真機械店、写真館「山本五郎商店」を出店する。
- 1907年、横浜美術写真館サスライズ商会で写真撮影をする。
- 1912年、日高長太郎、佐野紫影らと愛友写真倶楽部を結成。大正期には代表を勤める。
- 1914年、妻・通との間に長男、悍右をもうける。
- 1941年4月、逝去。
- 1945年3月19日の名古屋大空襲で山本五郎商店が焼失する。
展覧会
[編集]- 2021年 「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972― 展 / 名古屋市美術館
系譜
[編集]山本家の先祖は、大江音人を祖とする大江氏にある。直系の先祖は、1332年に後醍醐天皇の倒幕隠謀が露顕し隠岐島に流された時、美濃岐礼庄に配流された中納言大江貞奥(?-1334年)で、子孫が山本と称した。その子、山本判官桜待中納言大江貞元は「太平記」の吉野の戦いに記述がある。山本五郎は貞奥より本家24代目である[1]。
→詳細は「大江貞奥 § 藤原姓山本氏略系譜」を参照
ギャラリー
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Goro Yamamoto's grand father: 山本五左衛門貞陳 1830 - 1881(天保元年 - 明治14年) 山本五郎祖父 Gozaemon Sadanobu YAMAMOTO
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山本五郎筆記 明治28年2月23日 帝国万々歳 日本大勝利 松島軍艦花簪.
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山本五郎(右から2人目) 明治30年3月14日 中尾駒三郎君出店記念写真
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山本五郎あてハガキ 明治40年6月28日付. Postcard to Goro Yamamoto on 28 June 1907.
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山本五郎 明治40年頃
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多治見虎渓山撮影会 明治45年
前列左 山本五郎 -
May 1915 " 1st Exhibition of Aiyu Photo Club"大正4年5月22日 - 29日 愛友写真倶楽部第1回展覧会 名古屋商品陳列場 前列左 山本五郎 後列右3人目 日高長太郎
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May 1915 " 1st Exhibition of Aiyu Photo Club"大正4年5月22日 - 29日 愛友写真倶楽部第1回展覧会 名古屋商品陳列場
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APC 愛友写真俱楽部画集 大正9年5月 山本五郎発行 AIYU Photo Collection Book, published by Goro Yamamoto, 1920.
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Camera & Materials, Goro Yamamoto Co. around 1935 Nagoya Japan
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YAMAMOTO Goro (left) & Kansuke around 1940. 山本五郎(左) と 悍右(右) 昭和15年頃
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1946年11月2日 第26回愛展 愛友写真倶楽部 中列右 山本悍右
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長瀬誌 明治百年記念 山本氏略系 昭和43年 谷汲村長瀬財産区発行 Kansuke Yamamoto pedigree
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中京の写真界99年 昭和47年 中部経済新聞社発行 右写真;明治45年 多治見之野外撮影会を催す。これが動機で愛友写真俱楽部が誕生した 左より2人目 山本五郎
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「写真展 シュルレアリスト 山本悍右―不可能の伝達者」 / 監修:ジョン・ソルト、金子隆一 編集:山本俶生 発行:財団法人東日本鉄道文化財団 2001年。
- 「中京の写真界99年」 昭和47年 中部経済新聞社発行