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山本りか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本りか(やまもと りか)、1958年(昭和33年)3月18日 - )(戸籍名:里香)は三重県政治家日本共産党所属で四日市市議会議員(2期)と三重県議会議員(2期)を務めた。現日本共産党三重県委員会副委員長。

経歴

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昭和33年3月18日ともに教員の両親の間に四日市新町にて生まれる。

四日市市立中部東小学校、中部中学校を経て四日市高等学校を卒業。

共立女子大学卒業後、高校の家庭科教諭として名張高等学校木本高等学校亀山高等学校四日市工業高等学校に併せて24年間勤める。

統一地方選挙後半戦の平成19年4月22日投開票の同じく高等学校教員(数学)出身の四日市市議藤岡アンリの後任として四日市市議選に立候補。定数36の中、高位(9位、3,668票)を果たす[1]

平成23年4月24日投開票の四日市市議選でも定数36の中、11位、3,242票で再選[2]

平成27年4月12日投開票の三重県議選では前回、当時の現職二人が落選し日本共産党の空白議会となっていた三重県議会に通算で7期務めた萩原量吉の後任として、津市の岡野恵美とともに当選(定数7の7位、12,629票)。

三重県議会議員としては教員としての視点から平和問題人権問題にも取り組むほか、月曜日の近鉄四日市駅前での街頭演説は地元の名物的存在になる。

平成31年4月7日投開票の三重県議選でも再選(定数7の6位、10,496票)[3]。岡野が落選し、三重県議会唯一の共産党議員となる。

令和5年4月9日投開票の三重県議選では全国的に退潮が進む同党候補として戦うも落選(定数7の9位、7,575票)[4]

令和6年10月27日投開票の衆議院議員選挙に三重二区より日本共産党公認で立候補するが落選(4位、15,753票)[5]

脚注

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  1. ^ 四日市市議会議員選挙 - 2007年04月22日投票 | 三重県四日市市”. 選挙ドットコム. 2024年12月16日閲覧。
  2. ^ 四日市市議会議員選挙 - 2011年04月24日投票 | 三重県四日市市”. 選挙ドットコム. 2024年12月16日閲覧。
  3. ^ 三重県議会議員選挙 - 四日市市選挙区候補者一覧 - 2019年04月07日投票 | 三重県”. 選挙ドットコム. 2024年12月16日閲覧。
  4. ^ 三重県議会議員選挙 - 四日市市選挙区候補者一覧 - 2023年04月09日投票 | 三重県”. 選挙ドットコム. 2024年12月16日閲覧。
  5. ^ 三重2区 - 第50回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)2024年10月27日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年12月16日閲覧。