山彦源四郎
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山彦 源四郎(やまびこ げんしろう)は、河東節の三味線方の名跡。
初代
[編集](生年不詳 - 宝暦6年5月20日(1756年6月17日))本名は村上源四郎。
木村又八の門弟。初代十寸見河東の相三味線を務め。初代没後は初代河東の門弟であった2代目江戸太夫藤十郎、3代目、4代目河東の相三味線を務めた。
没日は5月10日とも。
2代目
[編集](生年不詳 - 寛政4年10月16日(1792年11月29日))
初代源四郎の弟子の孫四郎の子で長蔵という。初代山彦秀次郎が初代源四郎の養子になり1774年に2代目源四郎を襲名。
5代目、6代目河東の相三味線を務めた。1791年に剃髪して存候と称した。
3代目
[編集]2代目源四郎の子で初名を2代目秀次郎。父2代目源四郎が1791年に剃髪したい際に3代目源四郎を襲名。7代目河東の相三味線を務めた。「源氏十二段」を作曲。
4代目
[編集]後の十寸見11代目河東。