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山彦源四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山彦 源四郎(やまびこ げんしろう)は、河東節三味線方の名跡。

初代

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(生年不詳 - 宝暦6年5月20日1756年6月17日))本名は村上源四郎。

木村又八の門弟。初代十寸見河東の相三味線を務め。初代没後は初代河東の門弟であった2代目江戸太夫藤十郎3代目4代目河東の相三味線を務めた。

没日は5月10日とも。

2代目

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(生年不詳 - 寛政4年10月16日1792年11月29日))

初代源四郎の弟子の孫四郎の子で長蔵という。初代山彦秀次郎が初代源四郎の養子になり1774年に2代目源四郎を襲名。

5代目6代目河東の相三味線を務めた。1791年に剃髪して存候と称した。

3代目

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(生年不詳 - 文政元年5月7日1818年6月10日))

2代目源四郎の子で初名を2代目秀次郎。父2代目源四郎が1791年に剃髪したい際に3代目源四郎を襲名。7代目河東の相三味線を務めた。「源氏十二段」を作曲。

4代目

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後の十寸見11代目河東

関連項目

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