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山形県立酒田北高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山形県立酒田北高等学校

(2007年2月撮影)
地図北緯38度56分59.8秒 東経139度50分35.4秒 / 北緯38.949944度 東経139.843167度 / 38.949944; 139.843167座標: 北緯38度56分59.8秒 東経139度50分35.4秒 / 北緯38.949944度 東経139.843167度 / 38.949944; 139.843167
過去の名称 山形県立本楯高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 山形県の旗 山形県
学区 西学区
理念 楽しく心ゆたかな学園をめざして
校訓 行学一如
設立年月日 1948年(昭和23年)4月1日
閉校年月日 2012年(平成24年)3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 06154K
所在地 998-0005
山形県酒田市宮海字明治1
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山形県立酒田北高等学校(やまがたけんりつ さかたきたこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Sakata North High School)とは、山形県酒田市宮海字明治にあった県立高等学校。略称「北高」(きたこう)、「酒北」(さかきた)、「北」(きた)。

2012年平成24年)3月に山形県立酒田光陵高等学校に統合され、閉校した。

概要

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歴史
1948年昭和23年)の学制改革により新制高等学校として創立された。現校名となったのは1961年(昭和36年)。2008年(平成20年)に創立60周年を迎えた。創立65周年を目前にした2012年(平成24年)3月に酒田市内の公立高等学校統合により閉校し、在校生は新設の山形県立酒田光陵高等学校に転学し、その普通科の生徒となった。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
校訓
「行学一如」
教育目標
  • 人間性を磨き、思いやりの心を持とう。
  • 意欲を燃やし、豊かな知性を身に付けよう。
  • 心身を鍛え、たくましい気力を養おう。
校章
1948年(昭和23年)5月3日の開校式を迎えるにあたり校章作成の会議を持ち、種々論議を経た結果として「働きながら学ぶ」との建学の精神と定時制高校の特色、地域性を校章に表現すべきであるとの結論に至り、校章作成委員会が発足。中国の故事「蛍雪の功」をふまえ、雪の結晶と蛍とを組み合わせ作成されたものである。当初の開校地である本楯村(旧・酒田市立鳥海中学校[1]付近)の地名に関連づけるため、雪の結晶を「盾」状に配し、更に蛍を「高」の字に図案化し作成、完成させたものである。
校歌
作詞は結城哀草果、作曲は信時潔による。初代校長の富樫吉男が知人を介し、歌人の結城哀草果に作詞を依頼したもので、1951年(昭和26年)7月に来校し、10月に作詞が完了した。その後すぐに作曲家で、『軍艦行進曲』、『海ゆかば』(大日本帝国海軍の将官礼式用儀制曲『海ゆかば』とは同名異曲)などで知られる信時潔に作曲が依頼され、同年11月10日に校歌は完成、披露された。
進路
就職が半数以上を占めている。進学でも専門学校の比率が高く、4年制大学や短大への進学は少ない。

沿革

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  • 1948年昭和23年)
    • 4月1日 - 新制高等学校山形県立本楯高等学校」が旧・酒田市立鳥海中学校[1]付近に開校。本楯の読みは「もとたて」。
    • この年 - 校章を制定。
  • 1951年(昭和26年) - 校歌を制定。披露。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 「山形県立酒田北高等学校」(現校名)に改称。
  • 1979年(昭和54年) - 現校舎が完成、現在地に移転。
  • 1994年平成6年) - 同窓会館建築完成。
  • 1996年(平成8年) - 特別教室棟(家庭科・情報処理)完成。
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 2年後の統合・酒田光陵高校の新設に備え、制服を改定。統合相手校すべての制服が統一される。
  • 2012年(平成24年)3月31日 - 酒田市内の公立高校4校の統合により閉校

部活動

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運動系
文化系

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅

脚注

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  1. ^ a b 鳥海の読みは「ちょうかい」。2012年(平成24年)3月に酒田市立八幡中学校(八幡の読みは「やわた」)との統合により閉校。旧・八幡中学校の校舎に酒田市立鳥海八幡中学校が新設された。

関連項目

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