山形市立第二中学校
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山形市立第二中学校 | |
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北緯38度15分41.5秒 東経140度18分27秒 / 北緯38.261528度 東経140.30750度座標: 北緯38度15分41.5秒 東経140度18分27秒 / 北緯38.261528度 東経140.30750度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形市 |
設立年月日 | 1947年5月2日 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C106220130022 |
中学校コード | 060005[1] |
所在地 | 〒990-0853 |
山形県山形市西崎62番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山形市立第二中学校(やまがたしりつ だいにちゅうがっこう、Yamagata Civic 2nd Junior High School)は、山形県山形市にある公立中学校。略称は「山二中」(やまにちゅう)、山形市内では「二中」とも呼ばれている。学制改革に伴い開校したため、市内の中学校では歴史が古い。ちなみに山形三中、山形四中とは兄弟校である。
概要
[編集]山形市のナンバースクール2番目の学校。学区は、JR北山形駅西側から須川の東側までと広い学区をもつ。学区内には山形テレビ(YTS)本社も含まれる。校章は鳩が2羽向かい合った上り鳩である(以前は逆さ鳩であったが変更された)。生徒のほとんどは山形七小、山形十小(一部)、山形西小、宮浦小(一部)出身である。
学区
[編集]城西町・城北町・肴町・北山形・下条町・西田・江南一~三丁目・霞城公園・西崎・椹沢、西原
(山形市第七地区奥羽本線以西、第十地区城西町部、椹沢地区)
沿革
[編集]- 1947年5月2日 - 山形市立第二中学校として山形市立第三中学校、山形市立第四中学校と同時期に開校。校舎は霞城公園内旧陸軍(第32連隊)兵舎を使用
- 1951年4月1日 - 山形市立第五中学校を分離
- 1954年4月1日 - 山形市城西町に移転(現山形市霞城公民館)
- 1985年4月1日 - 山形市西崎に校舎を新築移転
学校設備
[編集]- 校舎
- コの字型(体育館を含めるとヨの字型)になっている。南側が教室棟、西側が管理棟、北側が特別教室棟となっている。
- 体育館
- 校舎とは1階・2階の渡り廊下でつながれている。市内の中学校の体育館では比較的大きく、バレーボールコート2つ分が十分張れる位の大きさがある。
- 中庭
- 校舎とグラウンドの間の中庭に『五垂の泉』と呼ばれる小さな池がある。城西町旧校舎時代から引き継がれている。
生徒会機関
[編集]- 執行部
- 事務局
- 常任委員会
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- 非常任委員会
- 選挙管理委員会
- 推薦委員会
- 応援団
部活動
[編集]- 生徒は必ずいずれかの部に所属しなければならない
- 運動部
- 文化部
- その他
- 総合
- 総合部は、「生徒が小学校在籍時からある活動を継続しており、中学校入学後もそれを継続することを希望し、尚且つそれが通常の部活動に準ずる活動である」という場合に、その活動の継続の為に入部することが出来る部である。総合部の生徒は基本的に自身の活動は行うべき時に行い、放課後は自主学習をしたり校地周囲の農道を走ったりしている。
- 期間限定
伝統と変化
[編集]- 長い間受け継がれてきた独特の応援がある。入学式直後の対面式では、在校生が新入生へ向け威勢の良い応援の声を張り上げる。
- 特に応援に関しては、一部運動部に所属する生徒が、態と応援歌を1小節早めて歌うという変わった現象が見られる。
- 五垂の泉は校歌と同様長年受け継がれてきたものである。
- 男子は登校時に学帽を着用するという伝統があったが、生徒総会で着用の自由化が話し合われ可決、更に教職員会議でも可決された為、平成16年度2学期から「学帽着用の自由化」が認められた(厳密には着脱については選択が自由であるが、ほとんどの生徒は着用していない)。
出身有名人
[編集]- 西田崇 - プロスノーボーダー(長野オリンピックハーフパイプ日本代表)
- 高橋健二 - 元プロサッカー選手(モンテディオ山形所属時はMr.モンテディオ)
- 石澤靖治 - 学習院女子大学長・教授
- 後藤篤志 - 元プロサッカー選手。1994年ジュビロ磐田に在籍。
所在地
[編集]〒990-0853
山形県山形市西崎62番地
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ “山形県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 教育開発出版株式会社. 2018年11月12日閲覧。