山崎暁三郎
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山崎 暁三郎(やまざき ぎょうざぶろう、1864年9月9日(元治元年10月28日)[1] - 没年不詳)とは、明治時代から大正時代にかけての東京の地本問屋。号は寒英[2]。
来歴
[編集]室蘭生まれ[1]。1868年(慶応4年)に上京し、1873年(明治6年)11月3日から大黒屋平吉で働く[1]。1890年(明治23年)3月に退職して独立[1]。同年6月28日に国華堂を創業し、錦絵の仲買と画本の出版業を営む[1]。1891年(明治24年)に永島春暁作の大判3枚続錦絵「東京浅草寺并ニ公園地凌雲閣ノ高塔其他近傍吾妻橋遠景之真図」を版行している。他に歌川国利、菱川春宣の錦絵などを出版している。1896年(明治29年)11月以降から金融商品取引業に転じるが、1909年(明治42年)2月11日から再び出版業を営む[1]。
作品
[編集]- 菱川春宣 「伽噺桃太郎」 大判3枚続 1890年(明治23年) 江戸東京博物館所蔵
- 歌川国利 「国会議事之図」 大判 1890年
- 歌川国利 「新板昼夜尽」 大判 明治
- 歌川国利 「新板倹客尽」 大判 明治
- 歌川国利 「福神宝乃蔵い里」 大判 明治
- 歌川国利 『教育画形 文字絵』 中本1冊 1892年(明治25年)
- 山崎暁三郎編 「明治天皇御一代絵巻」 ※ 1912年(大正元年)国華堂発売
- 「世界大乱戦争地図」 ※地図、1914年(大正3年)法令館書店発売