山崎慎三
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山崎 慎三(やまざき しんぞう、1854年(安政元年3月[1][2]) - 1912年(明治45年)2月8日[2])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名は守正、字は子順[3]。茨城県河内郡馴柴村長。
経歴
[編集]常陸国河内郡馴馬村(茨城県河内郡馴柴村、稲敷郡馴柴村を経て現龍ケ崎市)出身[1]。幼い頃より椎名克堂、朽木久綱などについて学び、土浦藩儒の五十嵐儀一に師事し和漢学を修めた[3]。その後、江戸に遊学し文武を研鑽した[3]。
馴馬村副戸長、同戸長、門倉村ほか五箇村連合戸長を経て[2]、1889年(明治22年)馴柴村長に就任[3]。翌年、1890年(明治23年)には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[4]1897年(明治30年)9月28日まで務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 服部鉄石『茨城人物評伝』1902年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。