山崎庸哉
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山崎 庸哉(やまざき ようや[1] / ようさい[2]、1861年(文久元年1月[2][3])- 1916年(大正5年)2月11日[2][3])は、明治期の陸軍軍医、政治家。衆議院議員。最終階級は陸軍三等軍医正(少佐相当官)[2][3]。
経歴
[編集]陸奥国閉伊郡津軽石村[1](岩手県[2]閉伊郡津軽石村、東閉伊郡津軽石村、津軽石村を経て現宮古市津軽石)で生まれた[1]。済生学舎で学び、陸軍軍医講習生を経て、1884年(明治17年)陸軍軍医学校を卒業した[2][3]。
陸軍三等軍医(少尉相当官)に任官[2][3]。日清戦争に従軍[1][2][3]。1901年(明治34年)5月8日、陸軍一等軍医(大尉相当官)で予備役に編入された[4]。
郷里で医院を開業した[1]。篠民三の当選無効に伴い、1902年(明治35年)1月に実施された第6回衆議院議員総選挙岩手県第2区補欠選挙で当選し[1][2][5][6]、憲政本党に所属し衆議院議員に1期在任した[2][3]。
日露戦争に予備役軍医として従軍し[1]、弘前予備陸軍病院長に就任[2][3]。その後、函館警察署(現函館中央警察署)嘱託医を務めた[2]。1916年2月、北海道空知郡滝川町(現滝川市)で死去した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典3〉角川書店、1998年。