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山崎元家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山崎 元家
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛文7年4月25日1667年6月16日[1]
別名 十左衛門[1]
主君 徳川義直光友
尾張藩 旗奉行
氏族 五井松平家支流山崎氏[2]
父母 父:山崎元直[3]
兄弟 元家正盛[3]
元忠松井玄吉の妻[4]
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山崎 元家(やまざき もといえ)は、江戸時代前期の尾張藩士。

略歴

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山崎氏は五井松平家初代の松平忠景の子で、岡崎城に近い造岡城に住んだ作岡算次を祖とする。その子孫は後に今川氏に仕えて駿河国駿東郡山崎に移り住み、父の代で山崎氏を称した[5][3]。父の元直は今川氏の没落後は三河国幡豆郡に住んでいたが、徳川家康関東に移った後、その四男の松平忠吉に150石で仕えた。元家は父の家督を継ぎ、忠吉の没後も尾張国に残って尾張藩士となり、伊奈吉勝の組に属する。慶長20年(1615年大坂夏の陣では天王寺の戦いで先駆けを務め、酒巻伊右衛門の助勢を得て敵一人の首を挙げている。戦後は尾張藩を離れたが、寛永7年(1630年)に帰参して300石を領し、御供番、足軽頭、鉄砲頭を歴任する。正保3年(1646年)旗奉行となり、200石を加増された[3]承応3年(1654年)老年に及んで家督を嫡男の元忠に譲り、寛文7年(1667年)に没[4]

脚注

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  1. ^ a b 『士林泝洄』, p. 286.
  2. ^ 『士林泝洄』, p. 284.
  3. ^ a b c d 『士林泝洄』, p. 285.
  4. ^ a b 『士林泝洄』, pp. 285–286.
  5. ^ 「静岡県の地名」編集委員会 2000, § 岡村 (岡崎市岡町).

参考文献

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  • 「静岡県の地名」編集委員会 編『静岡県の地名』平凡社日本歴史地名大系〉、2000年。ISBN 978-4-582-49022-0 
  • 名古屋市教育委員会 編『士林泝洄』 2巻、名古屋市教育委員会〈名古屋叢書続編〉、1967年。