山岡頼弘
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山岡 頼弘(やまおか よしひろ、1956年(昭和31年)1月8日 - )は、日本の文芸評論家。名は賴弘とも書く。
略歴
[編集]山口県[1]厚狭郡山陽町(現・山陽小野田市)出身。防府市在住ののち桜美林大学文学部英文科卒[1]。1999年、「中原中也の『履歴』」が第42回群像新人文学賞評論部門の優秀作に選ばれる。『群像』『文學界』『三田文学』などで主に活動。中原中也、夏目漱石、村上春樹などを専門とし、精密な分析とイメージを喚起する文章に定評がある。
主要文献
[編集]- 「中原中也の『履歴』」(『群像』 1999年6月)
- 「『三四郎』と志賀直哉」(『群像』 1999年12月)
- 「文芸批評のリアリティ・純文章論の愚」(『すばる』 2000年10月)
- 「背景の想像力・加藤典洋『柳美里裁判の問題』への懐疑」(『群像』 2001年9月)
- 「神話の終焉(メジャー・リーグ論)」(『早稲田文学』 2002年1月)
- 「『近代絵画』への道(小林秀雄再読4)」(『早稲田文学』 2002年5月)
- 「批評家の終焉・三浦雅士『青春の終焉』批判」(『早稲田文学』 2003年1月5日)
- 「場と公共性」(『群像』 2003年4月)
- 「昭和三十五年・秋山駿覚書」(『三田文学』 2003年春季)
- 「三日間(スリー・デイズ)・感傷的博打論」(『早稲田文学 2005年3月)
- 「『金閣寺』への道」(『群像』 2006年12月)
- 「よみがえる東文彦・二十三歳の死と復活」(『三田文学』 2007年夏季)
- 「『都市幻想』を超えて・『1Q84』と『グレート・ギャツビー』」(『文学界』 2010年7月)
- 「悪とモラルを超えて-多崎つくるの『冬の夢』」 (『文学界』 2013年7月)
- 「『詭計』の果て・・秋山駿の死」(『文芸思潮』54号 2014年1月25日)
文献
[編集]- 「『資』とはいかに」(『すばる』2001年7月号)
- 「なぜ安原喜弘なのか」(『シュリンプ』2号 2002年11月)
- 「失われた大陸」(『すばる』2003年5月号)
- 「死と祈り、新井豊美の批評性」(『マンドラゴラ』3号 2004年8月)
- 映画批評「『悲情城市』・アジアの記憶」 「『シェリタリング・スカイ』・ヨーロッパの果て」(『シュリンプ』7号 2005年10月)
- 「霧の晴れる日」(『群像』2005年12月号)
- 「坂口安吾とフォルム」(『マンドラゴラ』4号 2006年7月)
- 「エコとエゴ」(成蹊大学主催・環境企画、2007年)
- 「私を詩につなぎとめたもの・詩人荏原肆夫」(『シュリンプ』9号 2007年12月)
- 映画批評「『審判』・カフカと映画(『シュリンプ』10号 2009年11月)
- 「木の光」(『三田文学』2010年冬号)
- 「物語の翼」(『三田文学』2014年冬春号)
書評
[編集]『奇跡のようなこと』(藤沢周)『背く子』(大道珠貴)『首鳴り姫』(岡崎祥久)『南へ下る道』(岡崎祥久)『ロマンティック』(大久秀憲)『海馬の助走』(若合春侑)『ルピナス』(早坂類)『ウィリアム・ブレイクのバット』(平出隆)『うつくしい人生』(堂垣園江)『野川』(古井由吉)『詩への小路』(古井由吉)『月花の旅人』(中上紀)『生まれる森』(島本理生)『家族芝居』(佐川光晴)『三面記事小説』(角田光代)『夜よりも大きい』(小野正嗣)『ヒムル、割れた野原』(野木京子)『遠藤周作文学論集』(遠藤周作)『私小説という人生』(秋山駿)『忠臣蔵』(秋山駿)『「生」の日ばかり』(秋山駿)『「鐘の鳴る丘」世代とアメリカ』(勝又浩)『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)等。
その他の活動
[編集]- 『東文彦作品集』(講談社文芸文庫)の解説文。
- 同人誌『シュリンプ』(防府市)、『マンドラゴラ』(東京)に参加。
- 「現代詩の断層を抱いて・対談稲川方人」(『マンドラゴラ)2月号 2003年11月)
- 中原中也記念館主催の講演、「故郷という異郷」(2001年6月)
- 同、「中原中也のいごこち」における、作家・諏訪哲史との対談(2008年10月)
- NHK教育テレビ『中原中也』『知るを楽しむ』に協力(2008年10月)
- 東海大学大学院における特別講義、『三四郎』『八日目の蝉』。
- 都内各所で、「小説を書こう」を担当。[2]
脚注
[編集]- ^ a b 山岡頼弘 公開講座一覧 - 公開講座JAPAN 《アーカイブ》
- ^ 武蔵野大学生涯学習講座 Archived 2016年3月8日, at the Wayback Machine.