山家城 (信濃国)
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山家城 (長野県) | |
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山家城の石積 | |
別名 | 中入城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 山家氏 |
築城年 | 不明(13世紀?) |
主な城主 | 山家昌治 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁 |
指定文化財 |
長野県指定史跡 「小笠原氏城跡」の一つ |
位置 | 北緯36度13分24.4秒 東経138度03分13.7秒 / 北緯36.223444度 東経138.053806度座標: 北緯36度13分24.4秒 東経138度03分13.7秒 / 北緯36.223444度 東経138.053806度 |
地図 |
山家城(やまべじょう)は、長野県松本市にあった日本の城。別名中入城。県指定史跡「小笠原氏城跡」を構成する山城群(埴原城跡、山家城跡、桐原城跡、林小城跡[注釈 1])の一つ[1][2]。
概要
[編集]鎌倉時代、諏訪氏の一族が山家氏を称し、この地に居城を築いたと言われている。文明12年(1481年)に小笠原氏に攻められ、諏訪氏の流れをくむ山家氏は滅亡した。その後は、小笠原氏の系統である折野昌治が山家氏を称し、山家昌治となりこの地を治めた。しかし、昌治は後に武田氏に従った。
美ヶ原王ヶ鼻から西方の山辺谷に張り出した尾根先にある標高1057メートルの峯と、その先端の尾根先にある標高1000メートルの峯に構築された2つの城郭から構成されており、城跡は石垣などが現在も残る。「小笠原氏城跡」として桐原城、埴原城などと共に長野県指定史跡に指定されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年