山堀貴彦
山堀 貴彦(やまほり たかひこ、1974年(昭和49年)3月30日 - )は、滋賀県米原市出身の男子フィールドホッケー元日本代表選手(フォワード)。
略歴
[編集]山堀貴彦は、1974年(昭和49年)3月30日に滋賀県坂田郡伊吹町(現滋賀県米原市)に生まれ、10歳(小学校4年生)の時に伊吹スポーツ少年団でホッケーに出会い、小学校6年生時に全国スポーツ少年団交流会で準優勝し、伊吹山中学3年時に全日本中学ホッケー選手権大会で準優勝するが、小学校から中学校まではレギュラーではなかった[1]。高校は滋賀県立長浜北高等学校に進学したが、県強豪の伊吹高校に阻まれ全国大会出場はなかった[1]。
大学は天理大学に進学した。全国トップ選手が集まるチームの中で、初めて「競争にもまれる」との意識を持ち、「落ちこぼれたくない」という思いからホッケーに取り組み、徐々にポイントゲッターとして頭角を現し、関西学生ホッケー最優秀選手、得点王などのタイトルを毎年獲得した[1]。大学4年時に日本代表に初選出され、卒業後は実業団強豪の「表示灯ホッケーチーム」(現名古屋フラーテルホッケーチーム)に入った[1]。
2009年(平成21年)故郷滋賀県の聖泉大学男子ホッケー部の監督に就任[1] し、2010年(平成22年)11月のアジア競技会まで日本代表チームを牽引した。この間、シドニー・アテネ・北京オリンピック予選に出場し、アテネ・北京予選では代表キャプテンを務めた[1] が、あと1勝の壁に阻まれた。36歳でキャプテンとして参加した広州アジア大会では6位に入賞、体力的に現役は30歳までと言われる中で36歳まで代表を続け、2011年(平成23年)正式に名古屋フラーテルホッケーチームを引退した[2]。
関連事項
[編集]- ホッケー男子日本代表
- 滋賀ガイド. “2011.01.18 五輪の夢を追い続ける日本代表最年長プレーヤー”. 2013年7月23日閲覧。
- 日本オリンピック委員会. “2010.11 広州アジア大会選手名鑑 男子ホッケー”. 2013年7月23日閲覧。
- 京都新聞. “2011.01.18 五輪の夢後進に託す ホッケー日本代表13年、山堀さん 彦根・聖泉大監督に”. 2013年7月23日閲覧。
- スポーツニッポン新聞社. “2007.10.18 北京切符へ山堀がDFに転向”. 2013年7月23日閲覧。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 聖泉大学. “2010年度聖泉 人(聖泉きらり人) 聖泉のすごいヤツ - 聖泉きらり人番外編・ホッケー日本代表の聖泉大教員”. 2013年7月23日閲覧。
- ^ 名古屋フラーテルホッケーチーム. “2011.04.22 2011年度勇退選手について”. 2013年7月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公益社団法人 日本ホッケー協会. “日本ホッケー協会ホームページ”. 2013年7月23日閲覧。
- 名古屋フラーテルホッケーチーム. “名古屋フラーテルホッケーチームホームページ”. 2013年7月23日閲覧。
- 聖泉大学. “聖泉大学陸上ホッケー部ホームページ”. 2013年7月23日閲覧。