柳原銀行
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(山城銀行から転送)
座標: 北緯34度59分10.2秒 東経135度45分52.9秒 / 北緯34.986167度 東経135.764694度柳原銀行(やなぎはらぎんこう)は、明治期に京都府柳原町(現:京都市下京区)で設立された私立銀行。被差別部落の住民により設立された日本で唯一の銀行であり、皮革業者等を取引先に抱えた[1]。
概要
[編集]1899年(明治32年)に、柳原町(崇仁地区)の町長経験者でもあった明石民蔵らによって設立された[1]。その後、事業地域も京都市内全域に拡がり、1920年(大正9年)に山城銀行(やましろぎんこう)に改称した[2]。しかし、1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌時に取り付け騒ぎが発生して休業に陥り、その後破産に至った[3]。
現存する建物は、商店などに転用された後、1994年(平成6年)に京都市登録有形文化財に登録され、1997年(平成9年)に柳原銀行記念資料館として開館した[1]。
沿革
[編集]- 1899年(明治32年)6月15日:合資会社として設立[4]
- 1920年(大正9年)6月:株式会社へ改組
- 1920年(大正9年)8月:山城銀行に改称[5](10月登記[6])
- 1927年(昭和2年)2月:昭和金融恐慌を受け休業
- 1927年(昭和2年)9月26日:破産宣告[3][7]
支店・出張所
[編集]役員
[編集]柳原銀行
[編集]『日本全国諸会社役員録 明治33年』
[編集]『日本全国諸会社役員録 明治40年』
[編集]『日本全国諸会社役員録 明治44年』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第21回』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第25回』
[編集]山城銀行
[編集]『日本全国諸会社役員録 第30回』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第31回』
[編集]『日本全国諸会社役員録 第35回』
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 柳原銀行記念資料館について 京都市
- ^ 銀行通信社編『銀行大鑑』銀行通信社、1933年
- ^ a b 日本銀行調査局『日本金融史資料 昭和編 第9巻 日本銀行調査月報』315頁 1964年刊行
- ^ 大蔵省理財局編『第15回銀行総覧』1908年、p.95
- ^ 京都銀行『京都銀行五十年史』付属年表 1992年刊行
- ^ 日本銀行調査局『日本金融史資料 明治大正編 第21巻』251頁 1959年9月刊行
- ^ 『官報』第228号、昭和2年9月30日、p.815
- ^ a b c d e f g 『日本全国諸会社役員録 第35回』京都府 上編488頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月19日閲覧。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 明治33年』京都府178頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月23日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 明治40年』京都府 上編234頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月15日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 明治44年』京都府 上編253頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月27日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第21回』京都府 上編335頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月15日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第25回』京都府 上編380頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月24日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第30回』京都府 上編365 - 366頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月28日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第31回』京都府 上編334頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治33年』商業興信所、1899年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治40年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治44年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第21回』商業興信所、1913年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第30回』商業興信所、1922年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第31回』商業興信所、1923年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第35回』商業興信所、1927年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 京都市人権資料展示施設「柳原銀行記念資料館」 - 京都市
- 柳原銀行記念資料館 - 柳原銀行記念資料館運営委員会