大瀧新之助
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大瀧 新之助[1][2](おおたき しんのすけ、1871年12月9日(明治4年10月27日[3]) - 没年不明)は、日本の弁護士[1][4]、実業家[2]。族籍は京都府士族[4][5]。
人物
[編集]旧米沢藩士・大瀧忠徳の長男[1][4][6]。1899年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業[1][4][7]、法学士の学位を得る[3]。1900年、家督を相続する[1][4]。
弁護士を開業し、京都市に於いて訴訟事務に従事する[3]。傍ら会社の重役である[4]。東亜組社長[5]、昭和電球相談役[6]、山城銀行取締役、京都精米、山城銀行[8]、日本硬化煉瓦各監査役などをつとめる[1][4][5]。
趣味は囲碁、俳句、書画[4][5]。宗教は禅宗[4][5]。住所は京都市上京区寺町通今出川上ル[4][5][6]。
家族・親族
[編集]- 大瀧家
- 父・忠徳(山形士族[3]、旧米沢藩士[4][6])
- 妻・しん(1873年 - ?、山形、庄田俊雄の姉)[6]
- 長男・忠雄(1899年 - ?、京都帝国大学農学部農場勤務)[4]
- 二男・忠之(1900年 - 1983年、山形士族・古海清蔵の養母の養子となる)[3]
- 長女・歌子(1903年 - ?、鳥取、久埜茂の弟昇の妻)[4]
- 庶子[6]
- 孫[6]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『帝国大学出身名鑑』オ62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ a b 『京都新人物百短評』18 - 19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』を62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第12版 上』オ114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 上』オ145頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第10版 上』オ120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第31回』京都府 上編334頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 京阪万朝社編輯部『京都新人物百短評』京阪万朝社、1912年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第31回』商業興信所、1919年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。