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山名氏豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山名氏豊
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正8年8月15日1580年9月23日)?
別名 通称・小三郎
主君 毛利氏南条氏
氏族 山名氏
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山名 氏豊(やまな うじとよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将南条氏の家臣。伯耆国久米郡打吹城主。

経歴

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氏豊は伯耆守護であった山名氏の一族で山名豊之政之の子孫にあたる。「伯耆民談記」によれば氏豊は各地を転々とした後、安芸国毛利氏に仕えたといい、永禄5年(1562年)頃、伯耆へ帰国した。帰国後、南条氏の下へ入った氏豊は久米郡の倉吉周辺の僅かな村邑を領有したが、先代の頃の勢いを回復するのは、もはや不可能となっていた。

天正8年(1580年8月、南条・毛利間で長和田・長瀬川の戦いが起こると氏豊は旧山名家重臣らと共に出陣、奮戦するも敗北し、敗走を余儀なくされた。同年8月、鹿野へ逃れる途中の因幡国気多郡内にて落ち武者狩りをしていた地侍長田肥前福井興七郎らに遭遇、従者の四宮源蔵と共に討ち取られた。

出典

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  • 松岡布政『伯耆民談記』
  • 東郷町誌編纂委員会『東郷町誌』

関連項目

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  • 山名氏豊館
    • 山名氏豊館は現在の倉吉市の大岳院にあったとされる。発掘調査では氏豊の年代より古い、15世紀頃の遺物が多数発掘された。