山口重幸
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1966年6月24日(58歳) |
身長 体重 |
177 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト6位 |
初出場 | 1988年7月16日 |
最終出場 | 1996年9月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
山口 重幸(やまぐち しげゆき、1966年6月24日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]岩倉高ではエースとして活躍。1983年の明治神宮野球大会では、決勝で京都商業高を完封し優勝。翌1984年春の選抜に出場。準々決勝では石田文樹、吉田剛を擁する取手二高、準決勝で大船渡高を降す。決勝では当時新2年生であった桑田真澄・清原和博を擁するPL学園高に1安打完封勝利、優勝を飾った。しかし、同年夏は全国高等学校野球選手権東東京大会4回戦で二松學舍大附高に敗退。高校同期に日本ハムファイターズで活躍した三塁手の森範行がいる。
同年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受け入団。
プロ入り後は内野手に転向するが、なかなか一軍に上がれなかった。1988年には7月半ばに掛布雅之が故障で離脱。その後を受けて三塁手として起用され、初出場初先発を果たす。同年は平田勝男と併用され、20試合に先発出場した。
1989年も遊撃手、一塁手として12試合に先発。その後は外野手も兼ねユーティリティプレイヤーとして起用されるが、打撃面では低迷。
1994年には出場機会がなくなる。
1994年オフに阪神を自由契約になり、テストを受けヤクルトスワローズに移籍。当時の野村克也監督が嫌っていた甲子園優勝投手でいながら、真摯に取り組む姿勢が買われ面談のみで入団が決まる。[1]
1995年は二塁手として5試合に先発出場。また三塁守備に不安のあるヘンスリー・ミューレンが下がった後の守備固めなどで自己最多の77試合に出場し、同年のリーグ優勝と日本一に貢献した[2]。同年のオリックス・ブルーウェーブとの日本シリーズでも、第1戦で三塁の守備固めとして起用されている。
1996年も62試合に出場するが、宮本慎也の遊撃手定着に伴う池山隆寛の三塁手コンバートにより戦力外通告を受け、同年限りで現役を引退。
1997年から野村監督の要望でヤクルトの打撃投手に転向した(2000年からはスコアラー兼任)。プロで投手経験がないのに打撃投手になった珍しい選手である。2007年8月、『四番、ピッチャー、背番号1』(横尾弘一著)で、その歩みが取り上げられた。2018年よりスコアラー専任になる[3]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | 阪神 | 35 | 71 | 66 | 5 | 13 | 2 | 0 | 0 | 15 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 2 | 0 | 21 | 0 | .197 | .232 | .227 | .459 |
1989 | 30 | 49 | 40 | 2 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 7 | 0 | 0 | 5 | 1 | 3 | 2 | 0 | 11 | 2 | .175 | .227 | .300 | .527 | |
1990 | 26 | 15 | 13 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .071 | .000 | .071 | |
1991 | 28 | 44 | 36 | 3 | 10 | 0 | 0 | 0 | 10 | 3 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 1 | 1 | 5 | 1 | .278 | .366 | .278 | .644 | |
1992 | 20 | 13 | 9 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | .222 | .462 | .333 | .795 | |
1993 | 5 | 6 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .200 | .333 | .400 | .733 | |
1995 | ヤクルト | 77 | 28 | 20 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 0 | 3 | 0 | .200 | .385 | .200 | .585 |
1996 | 62 | 19 | 14 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 | 5 | 0 | .286 | .412 | .286 | .697 | |
通算:8年 | 283 | 245 | 203 | 22 | 41 | 6 | 0 | 1 | 50 | 15 | 2 | 0 | 15 | 1 | 22 | 5 | 4 | 51 | 3 | .202 | .291 | .246 | .538 |
記録
[編集]- 初出場・初先発出場:1988年7月16日、対中日ドラゴンズ13回戦(阪神甲子園球場)、8番・三塁手として先発出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、2回裏に米村明から
- 初本塁打:1989年8月13日、対横浜大洋ホエールズ18回戦(横浜スタジアム)、4回表に遠藤一彦から2ラン
- 初盗塁:1991年8月14日、対ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、9回表に二盗(投手:岡林洋一、捕手:古田敦也)
背番号
[編集]- 60 (1985年 - 1987年)
- 42 (1988年)
- 32 (1989年 - 1994年)
- 58 (1995年 - 1996年)
- 86 (1997年 - 2009年)
- 106 (2010年 - 2017年)
脚注
[編集]- ^ YouTube デーブ大久保チャンネル 2023年10月29日付「第五話【優勝投手嫌い】野村監督が面接のみで採用した男」動画での本人の発言より
- ^ 橋上秀樹『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』株式会社双葉社、2011年、100ページ、ISBN 978-4-575-15371-2
- ^ 引退後も実践「野村ノート」に記された人生訓の数々 - プロ野球 : 日刊スポーツ
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 山口重幸 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)