山口左七郎
表示
山口 左七郎(やまぐち さしちろう、1849年7月12日(嘉永2年5月23日) - 1912年(明治45年)2月21日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(立憲自由党)。
略歴
[編集]相模国足柄上郡金子村(現・神奈川県足柄上郡大井町)に間宮若三郎の次男として生まれる。1871年(明治4年)に大住郡上粕屋村の山口作助の養子となる。1875年(明治8年)に上粕屋村戸長、1878年(明治11年)に大住・淘綾両郡の初代郡長に就任する。国会開設運動を支援し、1881年(明治14年)に県令野村靖と衝突して郡長を辞任し、自由民権結社湘南社社長に就任する。
1882年(明治15年)に自由党に入党し、1886年(明治19年)に神奈川県会議員に当選し、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。1892年(明治25年)に高部屋村の村会議員に当選し、有志とともに善波山に共同牧場を設ける。その後、相模銀行を設立して監督を務め、1896年(明治29年)に伊勢原銀行を設立し頭取を務めた。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第3版』や109頁、『人事興信録 第4版』や62頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 渡辺尚志『東西豪農の明治維新 - 神奈川の左七郎と山口の勇蔵』塙書房、2009年。
- コトバンク-デジタル版 日本人名大辞典+Plus