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山口 俊太郎(やまぐち しゅんたろう、1863年〈文久3年〉- 1923年〈大正12年〉[1])は、明治・大正期の鉄道技術者。岩倉使節団の副使であった山口尚芳の長男であり[1]、使節団に尚芳の従者として同行した[1]。使節団帰国後も引き続きイギリスに滞在する[1]。1887年に帝国大学工科大学を卒業し[1]、アメリカ合衆国に再留学の後、鉄道作業局に入局する[1]。その後九州鉄道、三井鉱山、三井物産で鉄道関係の業務を担当した[1]。