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山口俊太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山口 俊太郎(やまぐち しゅんたろう、1863年文久3年〉- 1923年大正12年〉[1])は、明治・大正期の鉄道技術者岩倉使節団の副使であった山口尚芳の長男であり[1]、使節団に尚芳の従者として同行した[1]。使節団帰国後も引き続きイギリスに滞在する[1]。1887年に帝国大学工科大学を卒業し[1]アメリカ合衆国に再留学の後、鉄道作業局に入局する[1]。その後九州鉄道三井鉱山三井物産で鉄道関係の業務を担当した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g ふるさとの先人たち 山口俊太郎”. 武雄市. 2018年1月17日閲覧。