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山口佐美麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山口佐美麻呂
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
別名 沙弥麻呂、沙弥万呂、沙美万呂
官位 従五位下備後介
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 山口氏
父母 父:山口田主
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山口 佐美麻呂(やまぐち の さみまろ)は、奈良時代貴族。名は沙弥麻呂沙弥万呂沙美万呂とも記される。正六位上山口田主の子[1]官位従五位下備後介

経歴

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聖武朝末に造東大寺主典を務める。孝謙朝では紫微大疏次いで紫微少忠に任ぜられて光明皇太后に仕え、天平宝字2年(758年)には淳仁天皇の即位に伴って、内位の従五位下に叙せられるなど、藤原仲麻呂派の官人であったとみられる。天平宝字5年(761年甲斐守に任ぜられるが、天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱に連座して位階を剥奪された。

神護景雲3年(769年称徳天皇由義宮行幸に奉仕して、罪を赦され本位(従五位下)に復す。光仁朝宝亀3年(772年)4月に木工助に任ぜられるが、11月には備後介として地方官に転じた。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻10,倭漢氏 弟腹
  2. ^ 『大日本古文書』11-149
  3. ^ 『大日本古文書』12-441
  4. ^ 『大日本古文書』

参考文献

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