中村典正
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(山口ひろしから転送)
中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 - 2019年8月16日[1])は、おもに歌謡曲、演歌を手がける日本の作曲家[2]。本名:中村貞夫(なかむら さだお)。
経歴
[編集]山口県の、後の新南陽市[3]〜周南市に生まれ[4]。地元で開催された「コロンビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し[4]、歌手を志し「かばん1つで上京」した[5]。1958年には「コロンビア歌謡コンクール」全国大会で入賞し、若山彰の付き人となり、原六朗に師事した後[4]、歌手ではなく、作曲家の道に進んだ[2]。
1963年、北島三郎の「三郎太鼓」のB面に収録された[4]「田舎へ帰れよ」で、本名の中村貞夫として[6]、作曲家としてデビューした[2][5]。1969年には、同じく北島三郎の「仁義」がシングルA面となり、ヒットした[4]。この時点では中村千里として活動していた[4][7]。
その後さらに中村典正と改名して日本クラウンの歌手の作曲を手がけ、鳥羽一郎の「男の港」などのヒットを生み、別名義の山口ひろしとして他社の歌手にも楽曲を提供して、藤あや子の「むらさき雨情」などがヒットした[2][4]。
また、妻である松前ひろ子の楽曲を多数手がけているほか、後に娘婿となる三山ひろしを育てたことでも知られている[2]。作曲家生活50周年を迎えた2013年には、代表的作品を集めた、松前ひろ子『中村典正・山口ひろし作品を唄う 中村典正作曲家生活50周年記念アルバム』[4]、三山ひろし『三山ひろし縁歌集三山ひろし 恩師・中村典正を唄う』が発表された[8]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “作曲家・中村典正さん死去 83歳 三山ひろしの師匠で義父、松前ひろ子の夫”. デイリースポーツ. (2019年8月20日) 2019年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e “interview 故郷を唄う夢をかなえて恩返し重ねた人生が実を結んだ”三山節“ - 三山ひろしさんが”生みの親“と尊敬する中村典正先生にお話を伺いました。”. 第一興商. "016-01-08閲覧。
- ^ “きらら博にイベントソング 請負人は県出身の作詞家、作曲家”. 朝日新聞・朝刊・山口: p. 29. (2000年5月13日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c d e f g h “松前ひろ子 リリース情報 中村典正/山口ひろし作品を唄う”. 徳間ジャパンコミュニケーションズ. 2017年1月8日閲覧。
- ^ a b “中村典正氏作曲家50周年「かばん1つで」”. 日刊スポーツ. (2013年7月18日) 2017年1月8日閲覧。
- ^ 北島三郎 – 三郎太鼓 - Discogs
- ^ 北島三郎 – 仁義 - Discogs
- ^ “縁歌集 三山ひろし ~恩師・中村典正を唄う~”. クラウン徳間ミュージック. 2017年1月8日閲覧。