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山中元孚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山中 元孚(やまなか もとざね、宝永元年(1704年)- 宝暦5年(1755年7月29日)は、日本の江戸時代郷士。鴻池村山中総本家の7代目当主。出雲国の戦国武将山中幸盛の子孫。山中義男の子。通称は(7代)山中新右衛門と称した。

墓所兵庫県伊丹市鴻池の慈眼寺境内墓地にある。法号は萬機宗安居士。享年51。

生涯

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山中義男の子として生まれた。正徳5年(1715年)9月24日に鴻池村の山中本家では6代目当主であった山中英元が28歳で急死し、跡継ぎの男子がなかったために、急遽山中本家に養嗣子として入り、家督を継いで7代目山中新右衛門と称した。

参考文献

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  • 宮本又次『鴻池善右衛門』 吉川弘文館
  • 『伊丹・鴻池の歴史』

関連項目

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先代
山中英元
山中氏歴代当主
1715年 - 1755年
次代
山中元長