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山下威士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山下 威士(やました たけし、1941年11月6日[1] - )は、日本の憲法学者法哲学者新潟大学名誉教授

略歴

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広島県広島市出身。1945年広島市への原爆投下を経験し、その後の法学者としての思想に影響を与える[2]。 1960年広島県立広島観音高等学校卒業。 1964年中央大学法学部卒業。1966年同大学院法学研究科修士課程修了。1970年早稲田大学大学院法学研究科公法学博士課程中退。

1987年「カール・シュミット研究 危機政府と保守革命運動」で法学博士早稲田大学)の学位を取得。

1970年埼玉大学教養部講師(社会思想史担当)、中央大学法学部通信教育課程インストラクターを兼任。1971年教養部助教授、1982年新潟大学法学部教授(憲法・比較憲法学)、 1993年同大学院現代社会文化研究科教授、 1995年同法学部長、 2000年同学長補佐、 2004年同大学院実務法学研究科(法科大学院)長・同教授(法学概論・正義論など担当)、 2007年同定年退官、同名誉教授[3][4]大宮法科大学院大学客員講師(法哲学担当) 2015年大宮法科大学院大学廃校に伴い退職。

2020年秋の叙勲が11月3日に発表され瑞宝中綬章を受章[5]

親族に法学者の山下泰子(妻)、デザイナーの山下勇三(実兄)がいる[6]

恩師

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学部・修士課程では川添利幸。博士課程では有倉遼吉、博士論文の主査では浦田賢治に薫陶を受けた[7]

著書

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  • 『カール・シュミット研究 危機政府と保守革命運動』南窓社 1986
  • 『憲法学と憲法』南窓社 1987 doi:10.11501/12675787

共編著

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翻訳

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  • 陶春芳,蒋永萍編『中国の女性 社会的地位の調査報告』山下泰子共監訳 尚学社 1995
  • 『クーデタを裁く 1932年7月20日事件法廷記録』訳編 尚学社 2003
記念論文集
  • 『ドイツ公法理論の受容と展開 山下威士先生還暦記念』DAS研究会編 尚学社 2004

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 『現代日本人名録 4巻』2002年 p1465
  2. ^ 山崎公士「献呈の辞」『法政理論 39(4)』新潟大学法学会 2007年 p1
  3. ^ 以上につき「山下威士教授略歴」『法政理論 39(4)』新潟大学法学会 2007年 p3以下
  4. ^ researchmap
  5. ^ 令和2年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 21 (2020年11月). 2023年2月20日閲覧。
  6. ^ 山下泰子『女性差別撤廃条約の研究』(尚学社, 1996), p.iii
  7. ^ 以上につき「山下威士教授略歴」『法政理論 39(4)』新潟大学法学会 2007年 p3以下