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尾崎旦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尾崎 旦(おざき たん、1889年明治22年)1月17日1932年昭和7年)6月4日)は、日本の歴史家実業家。陽明社の創始者。高知県出身。中岡慎太郎の伝記を日本で初めて著した歴史家・尾崎卓爾の兄。

来歴

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生い立ち

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1889年明治22年)1月17日、尾崎旦爾(手島熊吉)の三男として高知県安芸郡北川村大字野川896番地に生まれる。初名は「旦子(たんし)」のち、「子」がつくことによって女子を間違われるのを避けて「旦(たん)」と改名した。母は尾崎旦信(折蔵)の長女・亀。

1908年(明治41年)旧制高知県立安芸中学校を卒業し、慶應義塾大学部理財科(現・慶應義塾大学経済学部)へ進学。東京市芝区三田へ下宿。1913年大正2年)3月31日、同校卒業。1919年(大正8年)5月、公文為之助の長女・米猪(よねゐ)と婚姻。

陽明社の設立

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東京市芝区金杉川口町24番地に、株式会社陽明社を創業し出版業を手掛ける。社名は陽明学の理念から名付けられた。

1927年(昭和2年)、自由党員・今幡西衛らによって、京都円山公園に、坂本龍馬中岡慎太郎の銅像を建設する計画が提起され「坂本中岡両先生銅像建設会」が組織されるとこれに賛同。銅像建設資金を得るため、今幡らが『雋傑坂本先生伝』を執筆。尾崎旦の弟・尾崎卓爾 は自ら執筆した中岡慎太郎の伝記をさらに増補改訂し、同年12月30日、『中岡慎太郎先生』として陽明社から出版した。

1929年(昭和4年)3月5日、『台湾に於けるバナナ沿革史』を著し出版。

同年4月8日、父・尾崎旦爾が逝去したため、同5月7日家督相続を届出。

1930年(昭和5年)1月26日今幡西衛の媒酌により板垣守正の長男・正を養子にむかえる。

1931年(昭和6年)肺結核に罹患し転地療法を行うため、養子・尾崎正を今幡西衛へ預け、郷里近くの高知県安芸郡西浜へ帰省。

1932年(昭和7年)6月4日死去。享年43歳。墓は高知県安芸郡北川村野川にある。

尾崎旦の家督は、同年8月7日、養子・正が相続した。

家族

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  • 祖父:尾崎旦信(折蔵)
    • 父:尾崎旦爾[1]
    • 母:尾崎旦信長女
      • 長兄:尾崎金馬
      • 本人:尾崎旦
      • 妻:公文為之助長女
        • 養子:尾崎正[2]
      • 弟:尾崎卓爾
      • 弟嫁:中越十次郎長女
        • 甥(弟の長男):尾崎博俊
        • 甥(弟の次男):尾崎博雅

著書

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  • 『台湾に於けるバナナ沿革史』尾崎旦著、陽明社(日本)、1929年(昭和4年)3月5日発行

出典

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  1. ^ 尾崎旦信の養子となる。前名は手島熊吉
  2. ^ 今幡西衛の媒酌により、尾崎旦の養子となる。実は板垣守正の長男

参考文献

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