尼崎康定
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尼崎 康定(あまさき やすさだ、旧姓・戸田、1893年(明治26年)5月2日[1] - 1952年(昭和27年)1月16日[2])は、日本の実業家。尼崎汽船部常務[3]。尼崎造船、尼崎海上火災、関西汽船各取締役[4]。大阪曹達、大阪曹達商事各監査役[4]。
人物
[編集]信州松本藩主・戸田光則(松平光則)の孫。子爵・戸田康泰の息子[5]。子爵・戸田康保の弟[4][5]。1919年、北海道帝国大学附属水産専門部を卒業した[4][6]。趣味は謡曲、ゴルフ[4]。宗教は神道[4]。住所は大阪市天王寺区生玉町[4]、同市福島区鷺洲南[3]。
家族・親族
[編集]- 尼崎家
- 親戚
- 妻の妹の夫・田村太郎(尼崎造船社長)
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第16版 上』(人事興信所、1951年)あ52頁
- ^ 「尼崎康定氏 (大阪曹達社長)」『毎日新聞』1952年1月18日、3面。
- ^ a b c d 『人事興信録 第15版 下』補遺2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第14版 上』ア117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月2日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 初版』と之部206-207頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月3日閲覧。
- ^ 『北海道帝国大学一覧 自大正9年至11年』水産専門部卒業生384頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 北海道帝国大学編『北海道帝国大学一覧 自大正9年至11年』北海道帝国大学、1918 - 1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。