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尼崎市立城内高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尼崎市立城内高等学校
城内高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 尼崎市の旗 尼崎市
校訓 自律・協力・創生
設立年月日 1934年(昭和9年)
閉校年月日 2016年3月31日
共学・別学 男女共学
課程 定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
商業科
学期 3学期制
高校コード 28241D
所在地 660-0826
兵庫県尼崎市北城内47-1
北緯34度42分57.5秒 東経135度25分12.9秒 / 北緯34.715972度 東経135.420250度 / 34.715972; 135.420250
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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尼崎市立城内高等学校(あまがさきしりつ じょうないこうとうがっこう)とは、兵庫県尼崎市北城内に所在した定時制市立高等学校

設置学科

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商業科の沿革

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  • 1934年3月(昭和9年)商業学校規定により、実業学校を設置の件認可される。
  • 1934年4月(昭和9年)尼崎市立商業学校(夜間課程)が創設され、公立青年学校、尼崎市実習学校内仮校舎で16日より授業を開始。
  • 1936年7月(昭和11年)尼崎市南城内旧市庁舎に移転。
  • 1941年3月(昭和16年)尼崎市立商業学校(全日制)創設を共に同校と合併し、同校の第二本科となる。
  • 1944年3月(昭和19年)商業学生生徒募集停止される。
  • 1945年10月(昭和20年)開明国民学校内仮校舎へ移転。
  • 1946年3月(昭和21年)生徒募集の件認可される。
  • 1946年4月(昭和21年)金楽寺小学校内仮校舎へ移転。
  • 1948年7月(昭和23年)新学制に基づき尼崎市立琴城商業高等学校と校名変更。

普通科の沿革

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  • 1943年4月(昭和18年)尼崎市立高等女学校内に尼崎市立第二高等女学校(夜間課程)が創立される。
  • 1948年4月(昭和23年)新学制に基づき尼崎市立城内高等学校と校名変更。

尼崎市立城内高等学校(新制)の沿革

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  • 1949年4月(昭和24年)尼崎市立城内高等学校(普通科女子高)と尼崎市立琴城商業高等学校(商業科男子校)とが合併し、定時制、総合制、男女共学制の学校となる。
  • 1952年6月(昭和27年)産業教育振興法に基づく国庫補助対象校に指定される。
  • 1958年1月(昭和33年)県下定時制高等学校として初めての全生徒対象の完全給食を実施。
  • 1967年9月(昭和41年)新校舎に移転(旧城内中学校)
  • 1993年9月(平成5年)旧商業学校より通算して60周年を迎え、記念行事の一つとして、校訓「自律・協力・創生」を制定する。
  • 1995年4月(平成7年)文部省教育研究開発学校に指定される。
  • 1996年5月(平成8年)尼崎市より学校指定研究事業の委託を受ける。
  • 1998年3月(平成10年)文部省教育研究開発学校並びに尼崎市学校指定研究事業を終了。
  • 2016年3月31日 (平成28年) 閉校[1]

特色

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  • 兵庫県下の定時制高等学校で初めて、全生徒対象の完全給食を始めた。
  • 尼崎市の煎餅店「輝正堂」のオリジナル煎餅が卒業記念品として贈られていた。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 平成28年度 公立学校新設・廃止等一覧 兵庫県

外部リンク

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