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尹泰彬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尹泰彬
各種表記
ハングル 윤태빈
漢字 尹泰彬
発音: ユン・テビン
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尹 泰彬(いん たいひん、ユン・テビン、朝鮮語: 윤태빈1886年高宗23年 / 明治19年)9月[1] - 没年不明)は、明治から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。本貫坡平尹氏[2]日本名伊藤泰彬[3]位階正四位勲位勲三等[2]

経歴

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1886年漢城府で生まれた。1903年に官立日語学校を卒業し、外国語学校副教官、官立高等小学校日語教授などを歴任[2]1910年明治43年)2月12日に関税局嘱託を経て[4]、同年10月1日朝鮮総督府雇員となる[4]1912年(明治45年)に総督府道書記に任命され、京畿道で勤務した[4]1921年大正10年)に道理事官となり、京畿道内務部勧業課長[4]1922年(大正11年)に京畿道産業課長、1930年昭和5年)に咸鏡南道財務部長、1932年(昭和7年)に忠清南道内務部長などを歴任した[4]1935年(昭和10年)に京畿道参与官兼産業部長に転じ、1936年(昭和11年)から京畿道地方米穀統制組合会長を、1938年(昭和13年)から国民総力朝鮮連盟参事などを兼任[2]1937年(昭和14年)に愛国金釵会が結成されると、同会の設立趣旨を説明した[2]1939年(昭和14年)に江原道知事に任命された。1940年(昭和15年)に忠清北道知事に転じ[2]1942年(昭和17年)に退官[2]

1949年反民族行為特別調査委員会に逮捕されたが後に釈放された[2]。しかし、1950年朝鮮戦争が勃発すると拉致された[2]2004年韓国で成立した日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法によって、親日反民族行為者に認定された[2]

出典

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  1. ^ 帝国秘密探偵社 1940, 朝鮮9頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j 윤태빈(尹泰彬)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月24日閲覧。
  3. ^ 浜口裕子 1994, 19頁.
  4. ^ a b c d e 윤태빈 ( 尹泰彬 ) 国史編纂委員会

参考文献

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