尚衞
尚衞 Mamoru Shō | |
---|---|
第二尚氏 | |
2019年4月 公事清明祭にて撮影 | |
続柄 | 第22代当主侯爵尚裕の長男 |
身位 | 第二尚氏第23代当主 |
出生 |
1950年8月18日(74歳) 日本、東京都 |
子女 |
猛(長男) 孝之(養子) 満喜(養女、臨時聞得大君) |
父親 | 尚裕 |
母親 | 尚啓子 |
尚 衞(しょう まもる、1950年8月18日 - )は、かつて存在した琉球王国の王家第二尚氏の第23代当主[1][2]。
経歴
[編集]千代田区立永田町小学校、同麹町中学校を経て玉川学園高等部に進み、玉川大学を卒業後、西武百貨店に就職。
数年後に退社しモデルや映画のエキストラを経験。
1982年5月、結婚。
1984年、長男、猛(たける)誕生。
1993年、米アラバマ州サムフォード大学に留学しMBAを取得[4]。帰国後離婚。
2017年8月、三重県出身の神職・孝之(たかゆき)と満喜(まき)の夫妻と養子縁組。
2019年5月、一般社団法人琉球歴史文化継承振興会を設立し、代表理事を務める[5]。
活動
[編集]伝統文化を継承し、沖縄県民の思いに応えるため琉球王家の祖先を供養する伝統祭事「清明祭(シーミー、ウシーミー[注 1])」 を第二尚氏の歴代国王が葬られている沖縄県那覇市首里の陵墓「玉陵」で行うことを2017年に決意した[7][8]。しかし、1992年に父の尚裕が玉陵を那覇市に寄贈し、2000年には玉陵が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたため、那覇市の城間幹子市長を訪問し玉陵の使用について協力を要請していた[8]。
そして2018年4月6日、玉陵で清明祭を行った[1][7][9][10]。一族7人と市町村代表ら来賓25人も参加し[1]、1970年代半ばに両親が行って以来、約45年ぶりに玉陵で行われる清明祭となった[11]。儀式を終えた後、報道陣に「感無量です。沖縄あっての尚家なので沖縄独自の文化を大切にし、県民のためにさまざまな形で貢献していきたい」と述べ、玉陵での清明祭については今後、毎年開催していきたいとしている[12][13]。
また、同年には琉球王国時代の資料253点を那覇市に寄贈し[14]、8月9日に那覇市役所で市から感謝状の贈呈を受けている[14]。
このとき尚衞から那覇市へ寄贈された38点の文書・1点の文書箱および石垣市立八重山博物館が2018年12月に那覇市へ移譲した3点の尚家文書について、2019年3月18日に国の文化審議会は国宝へ追加指定するよう柴山昌彦文部科学大臣に答申した[15][16]。答申の対象となった41点の尚家文書には琉球王国から明治新政府へ派遣された使節団[注 2]の業務日誌「東京日記」や琉球国王が正月の儀式の際に着用した衣装の記録などが含まれており、専門家は「当時の琉球王国の対応や儀式の詳細を知る上で貴重な資料となるだろう」と話している[15][16]。尚家文書は2006年に沖縄県として戦後初の国宝に指定されている[15]。
祭祀の後継者としては、実子の猛ではなく養子の孝之・満喜夫妻を指名している。その背景として評論家の篠原章は、清明祭をめぐって猛との関係に亀裂が生じたことを報じている[17]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 「尚本家が玉陵で清明祭 尚衞さん「40年ぶり」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース」『琉球新報』琉球新報社、2018年4月6日。2019年2月7日閲覧。
- ^ “琉球朝日放送 報道制作部 Qプラス » Qプラスリポート「尚家の清明祭(シーミー)」(1)”. 琉球朝日放送 (2018年4月9日). 2018年5月3日閲覧。
- ^ 尚満喜 (2019年4月). “遥かなる伊勢の地より、沖縄の安寧を願う – OKINAWA41”. OKINAWA41. 2019年6月1日閲覧。
- ^ 尚衞 (2019年5月29日). “うらおそいよりしよりに~【特別寄稿③ 尚本家第23代当主 尚衞】 – OKINAWA41”. OKINAWA41. 2019年6月1日閲覧。
- ^ 尚満喜 (2019年5月15日). “一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会について – OKINAWA41”. OKINAWA41. 2019年6月1日閲覧。
- ^ “清明祭(シーミー・ウシーミー) – あの日の沖縄 - 沖縄県公文書館”. 沖縄県公文書館. 2019年2月7日閲覧。
- ^ a b 「琉球国王の子孫、伝統のお供え物で先祖供養 世界遺産「玉陵」で約40年ぶり清明祭」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2018年4月6日。2018年4月7日閲覧。
- ^ a b 「琉球王家のシーミー 来年復活へ 世界遺産「玉陵」で古文書参考に - 沖縄タイムス+プラス」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2017年9月27日。2019年2月7日閲覧。
- ^ 「45年ぶりに琉球王家祭事 世界遺産の那覇・玉陵」『日本経済新聞』2018年4月6日。2018年4月7日閲覧。
- ^ 「雑記帳:15~19世紀に沖縄諸島などを…」『毎日新聞』毎日新聞社、2018年4月7日。2018年4月7日閲覧。
- ^ 「45年ぶりに琉球王家祭事 世界遺産の那覇「玉陵」」『産経新聞』2018年4月6日。2018年4月7日閲覧。
- ^ “琉球朝日放送 報道制作部 Qプラス » 尚家の清明祭(2)~伊是名で行われたシーミーのわけ~”. 琉球朝日放送 (2018年4月11日). 2018年5月3日閲覧。
- ^ 「琉球王家の子孫「感無量」 40年ぶりに祖先供養の行事 - 沖縄:朝日新聞デジタル」『朝日新聞』2018年4月6日。2018年5月3日閲覧。
- ^ a b 「尚家の資料 253点那覇市へ/尚衞さん寄贈 - 沖縄タイムス+プラス」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2018年8月10日。2019年2月7日閲覧。
- ^ a b c d 「尚家文書41点国宝に 文化審答申 慶賀使節団の日誌も /沖縄 - 毎日新聞」『毎日新聞』毎日新聞社、2019年3月21日。2019年4月15日閲覧。
- ^ a b 「那覇市所蔵の尚家資料、国宝に 文化審議会が追加答申 - 沖縄タイムス+プラス」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2019年3月21日。2019年4月15日閲覧。
- ^ “「実子がいるのに、夫婦養子に儀式を…」 琉球王朝「尚家」のお家騒動、何が起きているのか”. デイリー新潮 (2024年1月30日). 2024年10月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- 清明祭(シーミー・ウシーミー) – 沖縄県公文書館
|
|