尚布里
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尚 布里(しょう ふり、1407年?(永楽5年)-1453年?(景泰4年))は、尚巴志王の子で領地が江洲半島であったため江洲王子とも言われる。兄に第3代目の中山王の尚忠と第5代目中山王の尚金福がおり、弟には7代目中山王の尚泰久がいる。
生年は1464年(天順8年)に58歳で亡くなっているとすれば1407年(永楽5年)に生まれているとされ尚巴志王が33歳の時にもうけた子であると思われる[独自研究?]。尚金福の治世では主に軍事の事を扱っていたとされ王府内でかなりの権力があったという[独自研究?]。
琉球を統一した尚巴志の六男として生まれる[1]。1454年、甥の尚志魯と王位を争い、彼を討ち取る[2]。この内乱は首里城を焼失させる激しい内乱であった[2]。乱後、尚布里は王位に就くことなく[2]、58歳で亡くなった[1]。
脚注
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