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小野打泰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小野打 泰子
おのうち やすこ
Maj Gen, Yasuko Onouchi
中部航空警戒管制団司令 小野打泰子空将補
生誕 (1964-08-19) 1964年8月19日(60歳)
日本の旗 日本
所属組織 航空自衛隊
軍歴 1987年 - 2023年
最終階級 空将補
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小野打 泰子(おのうち やすこ、旧姓:塩見[1]1964年8月19日[2] - )は、日本航空自衛官

経歴

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東京都出身。青山学院中等部・高等部を経て、青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科を卒業し、1987年(昭和62年)、航空自衛隊一般幹部候補生第77期として入隊[3][4]。入隊の動機は大学で国際情勢や安全保障論関係について学ぶうちに、今後も各国の情勢や軍事戦略などの情報分析をしたいと考え受験した[3]航空自衛隊幹部候補生学校を卒業し、職種は「情報」となるが[3]、当時、幹部候補生学校を卒業したての3等空尉は、北海道レーダーサイトが初任地となるのが通例であったが、そのレーダーサイトに女性用トイレがないため、航空幕僚監部調査部が最初の配属先となる[3](航空資料作業隊兼務)[4]。初めての部隊長勤務は青森県三沢基地の第1警戒資料処理隊[3]

2013年(平成25年)3月には防府南基地航空教育隊第1教育群司令を務め[4]、同年6月に行われた第59回航空自衛隊防府南基地開庁記念行事では観閲指揮官を務めた[5]

2017年(平成29年)9月、ミサイル防衛を担当する第6高射群に航空自衛隊初の女性高射群司令に就任した[4][6]。就任当時はまさに北朝鮮が立て続けに弾道ミサイルを発射し、日本上空を通過した直後で[6]、24時間携帯電話を手放せない緊張感があったが、戦闘部隊で国防の一翼を担いたいという思いもあり、指揮官として勤務できることにやりがいも感じたという[3]

2018年(平成30年)8月の人事により空将補に昇任し、統合幕僚監部報道官に就任[7]第4術科学校長兼熊谷基地司令を経て[8]、2022年(令和4年)3月17日に中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令に就任[9]2023年(令和5年)8月29日、退官[10]

年譜

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脚注

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  1. ^ a b 航空新聞社『WING DAILY』第2301号 2011年(平成23年)1月26日付 6頁 「防衛省人事」
  2. ^ a b 報道官 空将補 小野打 泰子 (おのうち やすこ)”. 防衛省自衛隊. 2018年9月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 「夢なき者に成功なし」日本そして日本国民を守る国防の道へ〈卒業生・小野打泰子さん〉”. アオガクプラス あおやま すぴりっと (2022年12月15日). 2023年4月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 女性職員ワークスタイル事例集”. 航空自衛隊. 2023年4月28日閲覧。
  5. ^ 平成25年6月1日(土曜日) 第59回航空自衛隊防府南基地開庁記念行事” (HTML). 山口県防衛協会 (2013年6月1日). 2018年9月10日閲覧。
  6. ^ a b 防空の最後の砦、自身の役割を考え“俺がやる””. 航空新聞社 (2018年7月10日). 2018年7月25日閲覧。
  7. ^ a b 防衛省発令(将補人事)2018年8月1日付
  8. ^ a b 基地司令官挨拶”. 航空自衛隊熊谷基地 (2019年8月29日). 2019年11月12日閲覧。
  9. ^ a b 防衛省発令(将補人事)2022年3月17日付
  10. ^ a b 防衛省発令(将補人事)2023年8月29日付
  11. ^ 防衛省発令(1佐人事)2016年4月1日付
  12. ^ 防衛省発令(1佐人事)2017年9月24日付
  13. ^ 防衛省人事(将補人事)2019年8月23日付