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小袖屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社 小袖屋[1][2]
本社所在地 日本の旗 日本
山形県酒田市上仲町73[2][3]

山形県酒田市中町2-4-13[4]
設立 1951年昭和26年)4月1日[3]
業種 小売業
事業内容 百貨店
代表者 鈴木栄太郎(社長)[2]

鈴木栄一[注 1](社長)[6]
資本金 100万円[2]

260万円[2]

410万円[2]

1600万円[2]
売上高 約2億円[2]
従業員数 106[2]

120[7]
決算期 3月[8]
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小袖屋
店舗概要
開業日 1969年(昭和44年)[9]
閉業日 1971年(昭和46年)8月30日[10]
商業施設面積 4,454 m²[11]
後身 大沼酒田中央店[12]
最寄駅 酒田駅
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小袖屋(こそでや)は、山形県酒田市にあった呉服店・百貨店である。

歴史・概要

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1882年明治15年)に鈴木傳太郞が創業したのが始まりである[2]

1943年昭和18年)に企業整理により廃業となったが、1949年(昭和24年)に再開した[13]

1951年(昭和26年)4月に資本金100万円で「株式会社 小袖屋」を設立して法人化した[2]

当店は、3層式のショーウィンドウを設置した店舗で、中2階やマネキンも効果的に配することで、地方の呉服店では困難とされた2階への買い物客の誘導に成功し、新たな呉服店の店舗形態とされた[14]

1957年(昭和32年)4月24日に小袖屋労働組合が結成された[15]

1963年(昭和38年)5月に鶴岡支店を開設し[8]、同年12月に資本金150万円で「小袖屋外販株式会社」を設立して寝具・雑貨・家具部門を分離独立させた[5]

1969年(昭和44年)に百貨店を開業したが[9]1971年(昭和46年)8月30日に約11億円の負債をかかえて倒産した[10]

約5500人の友の会会員の会費約6500万円も負債に含まれていたが、この友の会も含めて大沼が引き受ける形で、友の会の会費の焦げ付きが回避されることになった[16]

同年11月20日大沼酒田中央店が当店跡に開店した[12]


年表

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  • 1882年明治15年) - 鈴木傳太郞が創業[2]
  • 1943年昭和18年) - 企業整理により廃業[13]
  • 1949年(昭和24年) - 営業を再開[13]
  • 1951年昭和26年)4月 - 資本金100万円で「株式会社 小袖屋」を設立して法人化[2]
  • 1953年(昭和28年)8月 - 資本金を260万円に増資[2]
  • 1955年(昭和30年)5月 - 資本金を410万円に増資[2]
  • 1957年(昭和32年)4月24日 - 小袖屋労働組合結成[15]
  • 1959年(昭和34年)6月 - 鉄筋コンクリート造4階建て727m2の店舗が完成[2]。資本金を1600万円に増資[2]
  • 1963年(昭和38年)
    • 5月 - 鶴岡支店を開設[8]
    • 12月 - 資本金150万円で「小袖屋外販株式会社」を設立して寝具・雑貨・家具部門を分離独立[5]
  • 1969年(昭和44年) - 百貨店を開業[9]
  • 1971年(昭和46年)

かつて存在した店舗

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売場面積43m2[8] → 369m2[17]
売場面積427m2[11]

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 小袖屋外販社長や酒田天然ガス取締役も務めた[5]

出典

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  1. ^ 『日本纖維商社銘鑑 昭和34年版』 東京信用交換所、1959年3月10日。pp579
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本繊維商社銘鑑 昭和36年版』 東京信用交換所、1961年9月15日。pp747
  3. ^ a b 『山形県年鑑 1959年版』 山形新聞社、1958年12月1日。pp396
  4. ^ a b 『山形県年鑑 1970年版』 山形新聞社、1969年12月26日。pp178
  5. ^ a b c 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 東京信用交換所、1967年9月15日。pp708
  6. ^ 『山形県年鑑 1970年版』 山形新聞社、1969年12月26日。pp295
  7. ^ a b 『山形県年鑑 1964年版』 山形新聞社、1964年6月30日。pp364
  8. ^ a b c d e 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』 信用交換所大阪本社、1965年2月20日。pp926-927
  9. ^ a b c 中野尊正 谷本三郎 中林一樹 松田磐余 『震災時おける都市の構造と機能の急変に関する研究方法の体系化 酒田における火災を例として』 総合都市研究 創刊号 (東京都立大学都市研究所) (1977年11月)。pp16
  10. ^ a b c 『荘内大観 1973』 荘内日報社、1972年10月25日。pp19
  11. ^ a b “資料(昭和44年百貨店業の申請処理状況)”. 日本百貨店協会通報 781号 (日本百貨店協会) (1970年1月20日).pp6
  12. ^ a b c 『荘内大観 1973』 荘内日報社、1972年10月25日。pp22
  13. ^ a b c 『大衆人事録 第19版 東日本篇』 帝国秘密探偵社、1957年4月1日。pp278
  14. ^ 川喜田煉七郎 『新しい店舗の作り方』 大泉書店、1954年2月15日。pp107-108
  15. ^ a b 『資料労働運動史 資料 昭和32年』 労務行政研究所、1958年12月20日。pp1451
  16. ^ 『山形県年鑑 昭和48年版』 山形新聞社、1972年12月18日。pp152
  17. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年11月10日。pp452