小笠原長隆 (信濃小笠原氏)
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小笠原 長隆(おがさわら ながたか、生年不明 - 天正9年(1581年)4月)は、戦国時代の武将。通称は又次郎、右馬助。徳川家康や上杉謙信に仕えた。小笠原長時の長男で小笠原貞慶の兄。小笠原貞頼の父とされるが、不明である。母は仁科盛能の娘。
生涯
[編集]父や弟とともに京都の三好氏の元に寄寓したとされるが、上杉謙信の下に留まっていたとする説もある[1]。
元亀2年(1571年)3月、一族の遠江高天神城城主・小笠原長忠(信興)が武田信玄に攻められた際は救援に向かい、城を守備した。その後は越後の上杉氏を頼り(『謙信公御書集』)、天正9年(1581年)4月、越中富山の戦いで織田信長の家臣・佐々成政らの連合軍に敗れて戦死した。
脚注
[編集]- ^ 村石正行「〈川中島合戦〉と室町幕府」福原圭一・前嶋敏 編『上杉謙信』高志書院、2017年、P168.
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜 巻第188』