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小穴進也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小穴 進也(おあな しんや、1914年大正3年)3月3日 - 2007年平成19年)11月13日[1])は、日本地球化学者名古屋大学理学部教授、同名誉教授。元日本地球化学会会長[2]

左から、小穴進也、柴田雄次、上田良二。1943年頃撮影。

来歴

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弁護士の小穴喜一の長男として長野県にて出生[1]。母みどりは松本市議会議長、衆議院議員などをつとめた弁護士森山儀文治の長女[3]

旧制松本高校理科を経て、1938年に東京帝国大学理学部化学科を卒業した[1]。1942年、名古屋帝国大学理学部化学科分析化学講座に助教授として赴任[1]。1951年に名古屋大学教授に昇格し、1977年定年退官した[1]。1987年勲二等瑞宝章受勲。

1968年(昭和44年)8月、当時、四日市海上保安部警備救難課長であった田尻宗昭が、日本アエロジル四日市工場から排出された廃酸による公害被害(四日市公害の一つ)を立件するにあたり、大企業相手で尻込みする研究者が多い中、塩酸の海中での拡散実験等に協力し田尻を援助した[4]

貞享騒動に加担して処刑された小穴善兵衛の子孫である。そのため進也の墓も善兵衛の墓のある通称いちょう堂(長野県安曇野市三郷温)の敷地内にある。[要出典]

著述

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  • 「恒温槽」『化学実験学 総論第1巻 化学実験総論』所収、河出書房、1940年
  • 「天然水の重水濃度測定法」『化学実験学 第1部第12巻 地球化学』所収、河出書房、1941年
  • 「ガス分析」菅原健・山崎一雄(共編)『基礎定量分析』所収、朝倉書店、1956年

脚注

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  1. ^ a b c d e 杉崎隆一「小穴進也先生のご逝去を悼む」『地球化学』第42巻第1号、日本地球化学会、2008年、i-iii、doi:10.14934/chikyukagaku.42.i_1ISSN 0386-4073NAID 1100094422232021年8月1日閲覧 
  2. ^ 地球化学研究会/日本地球化学会役員”. 日本地球化学会. 2021年9月14日閲覧。
  3. ^ 『長野県弁護士会戦後50年物語 上』長野県弁護士会、2001年6月、36-37頁。 
  4. ^ 『四日市・死の海と戦う』岩波新書、1972年4月20日、118‐119頁。 

参考文献

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  • 「現代物故者事典 2006-2008」日外アソシエーツ、2009年