小田切昌貞
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄14年(1701年) |
死没 | 宝暦5年12月17日(1756年1月18日) |
別名 | 新左衛門、次郎左衛門 |
戒名 | 宗源 |
墓所 | 四谷松巌寺 |
主君 | 徳川将軍家 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切昌處、母:安藤氏 |
兄弟 | 昌貞、女子(横山正守妻)、昌宣 |
妻 | 黒田氏 |
子 | 匡貞、女子(山崎英澄妻)、女子(吉田智見妻)、女子 |
小田切 昌貞(おだぎり まささだ)は、江戸時代中期の武士。江戸幕府旗本。
経歴
[編集]小田切昌處の長男として生まれ、昌處が致仕すると享保15年12月3日(1731年1月10日)家督を継ぐ[1]。享保18年12月20日(1734年1月24日)大番に列したのち、延享4年8月27日(1747年10月1日)新番に転じた[1]。
宝暦5年12月17日(1756年1月18日)死去した[1]。享年56[1]。長男の匡貞が遺跡を継いだ[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 堀田正敦『寛政重脩諸家譜 第3輯』國民圖書、1923年 。