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小田切昌次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌次
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄11年(1568年
死没 正保元年8月25日1644年9月25日
別名 庄三郎、新兵衛、新右衛門[1]、庄兵衛[2]
戒名 宗樹[1]
墓所 東京都中野区保善寺[1]
幕府 江戸幕府 具足奉行
主君 徳川家康徳川秀忠徳川家光
氏族 小田切氏
父母 父:小田切昌吉、母:牛奥織部某の妹[1]
兄弟 昌重、某(加兵衛)、昌次昌成[1]
牛奥昌次の娘[1]
昌直昌快、娘(石原安昌妻)、養女(小田切昌直娘、小田切昌快妻)[1]
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小田切 昌次(おだぎり まさつぐ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将旗本

経歴・人物

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天正11年(1583年)、16歳で徳川家康に拝謁する[1]文禄元年(1592年)、文禄の役に従軍し、肥前国名護屋(現:佐賀県唐津市鎮西町名護屋)に至る[1]。同年11月1日大番となり、蔵米三百俵を賜う[1]。のち大坂の陣では苅田の奉行を務め、そののち具足奉行に転じた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 寛政重修諸家譜』、巻第三百九十四。
  2. ^ 堀田正敦他『干城録』第四、人間舎(1998)