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小田切延寿

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小田切 延寿(おだぎり えんじゅ、1874年〈明治7年〉 - 1943年〈昭和18年〉10月1日)、日本海軍軍人。最終階級は海軍機関大佐。昭和鋼管役員。

経歴

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海軍在職中海軍大学校教官兼海軍教育本部部員、佐世保海軍工廠および呉海軍工廠で造機部長を務める[1]米沢海軍武官会会員[15]

  • 昭和鋼管役員

栄典

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位階
勲章等

出版物

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  • 『円月相』 小田切延寿(編・出版) 1931年
  • 『建長曇華心経』 菅原時保 (提講) 小田切延寿(出版) 1935年

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 『遠い潮騒』pp101-102
  2. ^ 機関学校入校卒業者期号并人名の件」 アジア歴史資料センター Ref.C06091150800 
  3. ^ 追憶 海軍機関学校 海軍兵学校舞鶴分校 同窓会名簿”. 2015年2月7日閲覧。
  4. ^ 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』(東京大学出版会)
  5. ^ 『官報』第3719号「叙任及辞令」1895年11月19日。
  6. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1895年12月29日。
  7. ^ 30年7月21日 海軍少機関士小田切延寿英国留学に付旅行券交付の件」 アジア歴史資料センター Ref.C10126222800 
  8. ^ 4月」 アジア歴史資料センター Ref.C13071930100 
  9. ^ 帰朝の途次取調研究調査に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.C10100650800 
  10. ^ 『官報』第5125号「叙任及辞令」1900年8月2日。
  11. ^ 『官報』第5278号「叙任及辞令」1901年2月8日。
  12. ^ 『官報』第5334号「叙任及辞令」1901年4月18日。
  13. ^ 『官報』第5779号「叙任及辞令」1902年10月7日。
  14. ^ 『官報』第7207号「叙任及辞令」1907年7月9日。
  15. ^ 『遠い潮騒』144頁
  16. ^ 『官報』第3783号「叙任及辞令」1896年2月12日。
  17. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  18. ^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
  19. ^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」1903年12月21日。
  20. ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
  21. ^ 『官報』第51号「叙任及辞令」1912年10月1日。
  22. ^ 『官報』第1365号「叙任及辞令」1917年2月21日。
  23. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  24. ^ 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
  25. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  26. ^ 『官報』第770号「敍任及辞令」1915年2月27日。

参考文献

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  • 松野良寅『遠い潮騒 米沢海軍の系譜と追想』米沢海軍武官会事務局、1980年