小牧雅伸
小牧雅伸(こまき まさのぶ、1954年7月10日 - 2022年1月24日)は、日本の編集者、ライター。
京都府福知山市出身。「スタジオ小牧」主宰。城西国際大学メディア学部メディア情報学科非常勤講師。
アニメ雑誌『アニメック』の元編集長で、誌上では(ま)のペンネームを用いた。以前はKを使用していたが、使用者が増えたために変更している。
略歴
[編集]1974年、東京電機大学入学のため上京。放送中の『宇宙戦艦ヤマト』を知り、ファンクラブ「ヤマトラボ」の設立に携わる[1]。SF・アニメ・特撮のサークルや、江古田の喫茶店「まんが画廊」で人脈を拡げ、1977年に櫛野麻美、浜松克樹、氷川竜介、伊藤秀明らと『月刊OUT』創刊2号のヤマト特集を担当。これを機にアニメ関連のムックやレコードの執筆・編集アルバイトを始める。
1978年、ラポートの高橋豊営業部長(現アニメイト代表取締役)にスカウトされ、学生編集長として通販カタログ誌『MANIFIC』を創刊。第5号より大幅リニューアルし、アニメ雑誌『Animec』とする。第6号では他誌がまだ注目していなかった『機動戦士ガンダム』を特集し、3万部を完売。以後、設定解説や作品批評などマニア的な立場で誌面作りを行い、「論評のアニメック」という評価を得る。
1987年の休刊まで『アニメック』の編集長を務め、その後はラポート編集部の編集局長として2003年10月の倒産までムックやコミックを編集する。
2003年11月、編集プロダクション「スタジオ小牧」を設立。2007年にウェブサイト「TORNADE BASE」でアニメック編集長時代の回想を連載し、2009年に単行本として出版した。
2022年1月24日、虚血性心疾患により死去[2]。
「RX-78」の命名
[編集]小牧は日本サンライズ(現サンライズ)との親交から、雑誌編集長という立場以外でもガンダムブームに関わっている。1980年には『機動戦士ガンダム記録全集』(2巻以降)の編集を依頼され、業界の恩人である野崎欣宏と共に伸童舎を設立。サンライズの営業プロデューサー野辺忠彦に協力し、ガンダムや『伝説巨神イデオン』の劇場版公開時にはファンイベント「アニメ新世紀宣言」や「明るいイデオン」の運営に参加している。
リアルロボット系アニメではロボットを量産兵器とみなし、名称に型式番号を付けるパターンが多いが、その端緒が「RX-78 ガンダム」である。これは制作者側が設定したものではなく、小牧が富野由悠季監督の許可を得て考案したものである。台本にある「ガンダーX78」(本編では未使用)を元に、地球連邦軍がロボット兵器を研究するならば、ジオン軍のモビルスーツという名称は使わないのではないかと推定し、「ロボット(Robot)型・試作(X)機動兵器・宇宙世紀0078年型」という符号から「RX-78」とした。
著作
[編集]- アニメックの頃… 編集長(ま)奮闘記 - 2009年 NTT出版 ISBN 978-4-7571-4216-9 (参考文献)
- 機動戦士ガンダムの時代 1981・2・22 アニメ新世紀宣言 - ランダムハウス講談社 2009年 ISBN 978-4-270-00511-8
出演
[編集]逸話
[編集]岡田斗司夫らと共に登場した雑誌において唯一、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を擁護した。これは岡田らが侮蔑するような発言をした為と語っている。(人の好きな物につまらない難癖をつけるな、という主旨)[要出典]
脚注
[編集]- ^ 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第38回 追悼・小牧雅伸さん(元アニメック編集長)(アニメハック 2022年2月28日)
- ^ tanton9の2022年1月30日のツイート、2022年1月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- スタジオ小牧 - ウェイバックマシン(2004年4月6日アーカイブ分)
- アニメックの頃… スペシャル鼎談
- あの頃ヤマトがすべてだった(YAMATO BLOG)