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小澤三五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小澤 三五郎(おざわ さんごろう、生没年不詳)は、江戸時代末の囲碁棋士江戸生まれ、本因坊秀和門下、六段。

初めの名は小澤金太郎。村瀬弥吉(本因坊秀甫)の弟弟子にあたり、2、3歳年下と見られる[1]安政から万延にかけて、秀和に二子、秀策に先、秀甫に先相先、他に高崎泰策との棋譜などが遺されている。秀策の後継者を弥吉と競ったと言われ、当時の「皇國碁家見立番附」では別大関村瀬秀甫、宮重策全に次ぎ、井上因碩(十三世)と共に大関の位置を占めている(五段)。秀甫とは、初二段は金太郎が先んじ、三段からは秀甫が抜いたとされる。嘉永7年(1854年)三段時から、四段秀甫が白番で2連勝、三五郎が先番と白番で連勝の棋譜があり、万延2年(1861年)には三五郎五段で、先から先相先に進めている。

中国九州を遊歴中に日向国延岡で急死と記録され、万延2年より後の記録は無い。棋風は秀甫に似て豪快で攻撃力が強い。

安政5年(1858年)12月5日、秀策との碁が傑作譜と呼ばれる。

黒1(11手目)、白2が、本因坊道策以来またこの頃打ち出された手法。黒9、11のツケギリで戦いの主導権を握り、黒19が好手で、以後この右下の白を攻めながら、各所で好手を見せて快勝した。237手まで採譜、9目勝。

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  1. ^ 高木祥一「夭逝した棋士たち 小澤三五郎」

参考文献

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  • 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
  • 高木祥一「夭逝した棋士たち 小澤三五郎」(『棋道』1998年2月号)
  • 矢田直己『秘譜発掘』誠文堂新光社 2004年
  • 福井正明『碁会黄金の十九世紀』日本棋院 2007年
  • 福井正明『名人・名局選 秀甫』誠文堂新光社 2009年